361414 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

マックの文弊録

マックの文弊録

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X
2010.12.01
XML
カテゴリ:よもやま話
☆12月1日(水曜日) 旧十月二十六日 乙酉 大安:

【其の一】
名前は彼にとって、年来喉仏に引っかかったままの小骨のようなものだ。
彼の名前は物集彦という。始めの二文字が姓で、これは「もずめ」と読む。三文字目は名で、これは「ひこ」とよむ。彦はそれ以外に読みようが無い。つまり彼の姓名の音は「もずめひこ」である。

「物集」は古代中国の秦氏の流れを汲む姓で、彼の祖先は大陸からの渡来人ということになる。彼の父はこの姓には随分こだわりがあり、晩年はいろいろ調べていたそうだ。
組織人間として定年まで可不可なく勤め上げて引退すると、大抵の男は自分の祖先を辿って何がしか特別なものを見出したがる。狭い世界でついに平凡なままで終わった自らが、実は由緒ある氏の流れに連なる存在だと見出して、無理やり自足したがるものなのかもしれない。
彼の父の「調査」によると、秦氏一族の中に、河内国大鳥軍百舌鳥の庄に住着いて勢力を張っていた物集連という族が、物集姓の源らしい。物集連の支流が移り住んだ京都には物集町という地名が今でもあるのだという。

秦氏の氏神は京都の伏見稲荷大社で、これは全国の稲荷神社の総本社だそうだ。伏見稲荷の社家には、日本の国学の祖である荷田春満を出した荷田家があり、これは高世、高見、高量と三代にわたって国学者を輩出した物集家とも共通する。

中国4千年の歴史を背にした由緒ある豪族に連なり、京の町筋に今も其の名を残し、稲荷総本社の社家でもあり、本邦国学の祖も輩出した名流なのだ。我ら末裔は物集の姓に誇りを持つべきなのだと、彼の父は常々云っていたそうだ。

だから彼は街角でお稲荷さんの社を見れば、先祖に対すると同様の敬意を払って、手を合わせる事にしようと思ったことはある。しかし、東京というところは無闇と稲荷神社が多いのである。「この頃江戸に流行るもの。伊勢屋、稲荷に、犬の糞。」と云うくらいだ。
江戸が東京に変わり、その後幾多の災害や都市改造の洗礼を受けながらも、道筋や川筋跡に、東京は昔の風景を思いのほか多く遺している。稲荷神社も同じで、江戸の当時には及ばないまでも、随分の数が街のあちこちに遺っているのだ。伊勢屋も犬の糞も今では余り見かけないが、稲荷だけは未だに東京の名物といってもいい。

だから行き会う稲荷神社にいちいち義理立てしていてはかなわない。それで彼が、ご先祖の氏神様にはお正月以外には失礼することにしてから最早久しい。

国学の物集さんにしても、遡れば何かで大儲けした江戸時代の商売人で、京都の物集の地に移り住んでから物集姓を名乗るようになったとどこかに書いてあった。そうなると、彼の家の物集姓の由緒も怪しい。
そういういきさつで、自らの姓の謂れの大半は、父親の願望が牽強付会させたものだと、今では彼は思うことにしている。

「家系は源から辿るより、今の自分から遡る方がはるかに面白いに決まっている。そう考えるとご先祖様は膨大な数になる。そうなるとやんごとなき血筋のどこかに、私の祖先の一人くらいは繋がっているに違いない。そう思っていればいいのさ。君の場合だってそうだろう。」と、彼は私にそういう。

私の亡父も同じように、晩年になって「自分史」なるものを遺した。それによると私のご先祖は武家で、その家系は群馬の館林まで遡れるとの事だ。しかし、菩提寺がいつだか知らない昔に焼け、過去帖なるものは失われていて、父の探索はそこでおしまいになった。私の父は終に自らの高貴な源流を見出しえなかったのだ。

その話をしたら彼は、「群馬の武家なんて、葱や蒟蒻を作っている百姓のついでみたいなものだろ。そんなもの高貴も何も関係ない。要するに貧乏百姓だよ。まぁせいぜい君が尊いといえば、茂林寺のお狸様の血が混じっているくらいだ。私のほうがお稲荷さんで狐、君が狸なら、我々はいわば狐狸の契りということになるな。」と、失礼なことをいう。
しかし私の家の宗旨は曹洞宗だから、確かに茂林寺の狸とは縁がある可能性はある。

「小学校ではクラス替えのたびに『ぶす』と呼ばれた。物集を『もずめ』と読める小学生なんていない。出来る子供でも『ぶっしゅう』と読むのがせいぜいだ。だから私は『ぶすひこ』だったんだよ。」

「中学では、大抵の子供は漢字の意味まで分かる様になるから、クズ屋の家系だと揶揄されたよ。ごみ集めの車が『夕焼け小焼け』の音楽を鳴らしながらやって来るものだから、人の顔を見るたびに『夕焼け小焼け』を口笛で吹く奴がいた。それも歯の隙間からかすれた音を出して、人を苛々させる口笛でね。」

「高校では当時のブッシュ大統領が渾名になった。バカ息子のブッシュのほうだよ。同級にテキサスからの帰国学生がいて、そいつが『Bush the Dubbya』と間延びした発音で人のことを呼ぶんだ。」

小中高を通じて、珍しい姓であることだけを理由にからかわれ続けるのはむしろ珍しい。だから私は、彼が揶揄される原因は、姓よりもむしろ彼の性格にあるのだろうと思う。
彼は人に対する好悪の感情の強い人間で、気に入らない相手となると徹底して狷介さを発揮する。なまじ優れて頭が回転し、どうでもいいことには随分博学であるため、色々なひねくれたトリビアを持ち出して相手を韜晦する。しかもそのやり口は遠回しで幾重にも屈折しており、対象とされた者は最後まで自分が馬鹿にされたことを分からないままのことも多い。
彼は自らのそういう態度を「卓犖不羈」と称して、恥じるところがないのだ。

ところで、彼の住む土地でゴミ収集車が電子音を鳴らしながら走るようになったのは、1968年(昭和43年)頃からの話だ。それにジョージ・W・ブッシュが第43代アメリカ大統領に就任したのは2001年(平成13年)だ。
1949年(昭和24年)生まれのはずの彼がその頃中学生や高校生だったとすれば、これは別の意味で驚異である。これも彼のふざけた韜晦の、それもごく単純な部類の例である。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010.12.03 16:14:38
コメント(0) | コメントを書く
[よもやま話] カテゴリの最新記事


PR

プロフィール

求連帯而懼孤立!

求連帯而懼孤立!

ニューストピックス

カレンダー

バックナンバー

2024.11
2024.10
2024.09
2024.08
2024.07

カテゴリ


© Rakuten Group, Inc.
X