カテゴリ:よもやま話
☆12月1日(水曜日) 旧十月二十六日 乙酉 大安:
【物集彦 其の二】 物集彦の名前の方は「彦」ただ一字である。 「彦はそれ一字でひときわ美しい男子、美青年という意味を持っている。彦は彦のみで男子の美称として完結しているのだ。日本男子たるもの、一生に一事を成せば足りるのだ。名前が一字であるのは、そういう考を呈して生きよ、ということだ。」長じて自らの名前に不平を鳴らした彼に、亡父はそうのたまわったそうだ。 「しかし、姓が物集で名が彦だろう。モズメヒコなんて、メキシコのモッズじゃないか。中学校時代にはそれがまた悪友たちのからかいのネタにされた。私としては、せめて達彦とか恭彦という名前だったら良かったのにと思うよ。」そう彼は云う。 しかし、また誤魔化されてはいけない。モッズとはイギリスの若い労働者階級の間で流行した、音楽やファッションをベースとしたライフスタイルで、これが流行したのは1950年後半~1960年代中頃のことだ。つまりは彼が中学生の頃にはモッズなんて言葉は存在していなかったのだ。 ところで、彼は、「日本の名字7000傑」というレアなウェブを探し出して、物集姓のランキング調べたことがある。自分の名字などにはこだわらないと云っているくせに、実は自分の特殊性を密かに実証してみたい気持ちがあったらしい。それで名字の歴史ではなく統計的な希少性に頼ろうとした。彼にはこういう些細なことにこだわって自分の存在を際立たせたいという、屈折したところがある。この点、どうみても自らが批判する亡父から受け継いだ遺伝子が彼の中にも存在するらしい。 日本には30万種もの名字が存在するらしい。 彼が苦労して調べたら、物集姓はその中の53271番目だった。希少・難読な姓であるとはいえ、30万もの中の53271位では自慢にはなりそうもない。それでこの角度からの自分の存在主張を、彼は早々に放棄した。 ついでに彼は、お節介なことに私の姓も調べて、それが199位であることを見出した。それを根拠に「狐狸の契りであっても此方のほうが遥かにエライ。」と妙な自慢をしたことがある。 私自身は自分の由来は茂林寺のぶんぶく茶釜で行き止まりにして、それで自足しているから余計なお世話である。 彼は、お世辞ではなく相当に頭脳明晰で、同時に(特に役に立たない分野で)博学でもある。それは私も認めるにやぶさかではない。しかし、先にも述べたように彼は同時に優れて狷介で、人を韜晦する才能も持ち合わせている。それがとんでもなく幼稚なことを根拠にしているところが可笑しい。 だから狐狸の契りもあることだし、私は未だに彼と付き合っているのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.12.04 17:38:37
コメント(0) | コメントを書く
[よもやま話] カテゴリの最新記事
|