カテゴリ:よもやま話
【2011年辛卯 3月2日 丙辰(ひのえ たつ) 仏滅: 小浜お水送り、旧正月二十八日】
旧暦の二月は和名を「如月」といい「きさらぎ」と読む。語源は、立春が過ぎて春が近いと思っていたら寒の戻りで慌てて又冬の衣装を着込むことになるということから「衣更着」。 或いは、草木の芽生えが覚束なげに始まるという意味で「萌揺月(きさゆらぎつき)」。 はたまた、陽気が改まって暖かさが来復するという意味で「気更来」などといわれている。 それに対して三月の旧名「弥生」は、「草木弥生月(くさきいやおいつき)」や、「柳糸引(やないとひき)」などが語源だとされるそうだ。 何れにしても、二月の和名にはまだあやふやな季節感が感じられるのに対して、三月のほうはしっかりした春への兆しが込められている。 昔の人は奈良東大寺二月堂のお水取りが終わると春が来るのだとしたのだそうだ。今でも関西地方の人はこの日を待ちわびている。 今日3月2日は福井県小浜市の神宮寺で「お水送り」が行われる。お昼前から始まる神事は、夕方になって清められた聖水が遠敷川に流されて終わる。式次第のそこ此処には、古いインドのヒンドゥー経にまで遡れるしきたりが見られる。 お水送りで送り出された聖水(「お香水」と呼ばれる)は遠敷川を若狭湾に下り、十日間をかけて奈良東大寺の「若狭井」にまで届くと信じられているのだそうだ。従って今日から十日後の3月12日は奈良東大寺の「お水取り」ということになる。 東大寺二月堂のお水取りは、ご本尊の観音様(十一面観世音菩薩)にお香水を奉げて「天下泰平」、「五穀豊穣」、「万民快楽」などを型どおりに願って祈りを捧げると共に、人々に代わって懺悔の行を勤めるものとして行われる。 この行事の始まりは天平勝宝四年(752)にまで遡ることができるそうだが、それ以来一度も途絶えることなく毎年続けられてきたそうだからすごい。二月堂が火事で焼けてしまった時(寛文七年=1667年)にも三月堂に場所を借りて行われ、太平洋戦争の戦中戦後、食料も物資も無かった時にも行われたのだそうだ。この行事は東大寺がある限り続く「不退の行法」として定められているのだそうで、従って今年のお水取りは第1260回目となる。 祈りに潔斎はつき物だが、お水取りもご本尊に先ず懺悔をしてわが身を浄化することによって、来るべき春を迎えるという意味がある。 明日の3月3日は桃の節句、ひな祭りで女の子のお祭りだが、ここでも桃の花は悪鬼を祓う清めの力があると信じられている。雛人形も元々は人形(ひとがた)として、女の子自身の罪や穢れを本人の代わりに引き受け、身代わりとして川などに流されたのが起源だ。時代が下るに連れて貴賓上流の家ではこの「ひとがた」が豪奢華美になって、水に流すのが勿体無くなってしまったため、雛人形として飾られるようになったというから可笑しい。 これは今でも地方によっては流し雛などの風習として遺されていて、元々の起源を偲ぶことができる。 それにしても携帯電話を使って試験問題のカンニングをしたり、インターネットで反政府運動を喚起したりと、技術の進展によって社会や人間の行動がどんどん変わっていく中で、古の行事が1200年以上も途絶えることなく続けられているのは貴重なことだとつくづく思う。こういうものは今後とも続いていってほしいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.03.02 16:09:47
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