カテゴリ:そこいらの自然
【2011年辛卯 4月2日 土曜日 旧 二月二十九日 丁亥(ひのと い) 赤口: 岐阜祭り】
今日の暦を見たら「岐阜まつり」とあった。 そうか、郷里の岐阜市では4月の第一土曜日と翌日曜日は祭礼だったのだ。 岐阜まつりとは、岐阜市のシンボルになっている金華山(旧稲葉山)の麓にある伊奈波神社の祭礼で、宵宮には山車が出て街を練り歩く。 これと協賛する形で同じ日程で「道三まつり」というのも行われる。こちらの方は、戦国時代「井の口の里」と呼ばれていた岐阜の街を拓いた斉藤道三を偲ぶお祭りである。斉藤道三は下剋上の典型のような武将とされており、彼の娘の帰蝶(濃姫)は織田信長の正室になっている。 道三まつりは昭和47年以来の行事だというから、既に其の頃郷里を離れていた私には記憶が無い。 岐阜まつりは神幸祭として、同じ日に伊奈波神社と共に、市内の金(こがね)神社や橿森(かしもり)神社でも祭礼が行われ、神様がこの三神社を巡幸なさるのだそうだ。 だから、4月最初の週末は岐阜の町は毎年祭礼一色になる。 ・・・筈だったのだが、今年は新名称「東日本大震災」の被災地を慮って、一切のお祭り行事を憚ることにしたのだそうだ。 岐阜ではこの時期になると方々の田んぼにレンゲ草の花が咲く。 レンゲ草は漢字で蓮華草と書く。十個ほどの紫の小花が輪状に並んで咲いている姿が「ハスのうてな」に似ているからそう呼ばれるとの事だが、この花の標準和名はレンゲではなくゲンゲという。漢字では「紫雲英」。「英」という字には「花房」という意味がある。 こうしてみると、「レンゲ=蓮華草」というのは、この花をクローズアップした視点で観た名前。「ゲンゲ=紫雲英」というのは、この花が一面に群生している様子を遠望した名前であるといえよう。実際春の田んぼ一面にこの花が咲いている様子は「紫の雲」と呼ぶのが相応しい。 レンゲ(又はゲンゲ)は、中国原産のマメ科の帰化植物で、日本にやってきたのは随分古く、恐らくは農耕の渡来と同時期にまで遡ることができそうだ。根には根粒というものが出来、根粒菌と共生している。この根粒菌には空中の窒素を固定する作用があり、田畑の土地にはよい肥料になる。昭和の頃には「緑肥」として、積極的に水田で栽培されていたようだ。 私の子供時代には、一面に咲くレンゲの花はごく普通の春景色だったが、首都圏に移ってからは殆ど見かけたことが無い。首都圏では田畑自体が少ない事もあるだろうが、たまに見る田んぼにもレンゲの花は見かけない。これには何か特別な理由でも有るのだろうか? レンゲの花は又、良質の蜂蜜の源であり、わが郷里岐阜県の「県の花」にもなっている。 春の一大祭りが沙汰止みになってしまった岐阜の街。其の郊外には相変わらずレンゲの花が咲いているのだろうか? 手に取るな やはり野に置け蓮華草 - 滝野瓢水 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.04.02 15:30:38
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