カテゴリ:そこいらの自然
【2011年辛卯 4月5日 火曜日 旧 三月三日 丁亥(かのえ とら) 大安: 清明、旧ひな祭り】
今日は二十四気の第5番目、「清明」だ。立春を基点とする太陽の黄経は、この日15度となる。 暦に関する古書「暦便覧」には、清明の項に「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草と知れるなり」とある。清明から穀雨の頃までは、寒さの戻りも漸くなくなり、万物は清々しく美しくも明るく見える。様々な花が競うように咲き始めるのもこの頃だ。 靖国の桜の「標準木」も数日前に開花が発表されたが、今週の日曜の寒さに水を差された形で、靖国通りや千鳥が淵をそぞろ歩く人たちは、コートを着込んで寒そうであった。それが昨日辺りから戻ってきた暖かさで、今週の中ごろから来週にかけて見頃となるだろう。 花見といえば花の下の宴会がつきものだが、今年は多くの場所で「花見の宴自粛」となっている。今回の地震や津波を「天罰だ」と言ってのけた、「太陽族」の元祖爺さんは、今度は「東北の被災地を慮って、都民は花見の宴を自粛するように」とおっしゃった。 その所為かあらぬか、靖国神社にも「宴会自粛」の立て看板が並べられ、テキヤの屋台が連なる代わりに募金箱が並べてある。これは宴会のメッカである上野公園や王子の飛鳥山でも同じだろうか? 確かに今の世情を思えば、満開の桜の下で酒酌み交わすような気分にはなれない。毎年花見の宴で話題になる上野公園など、どうみても花を愛でている風情には見えない。単に居酒屋でのどんちゃん騒ぎを屋外に移しただけだ。 健気に花を咲かせている老木の枝に登って騒いでみたり、大きなカラオケセットまで持ち込んで、下手糞な歌をがなり立てているのなど、うるさくも見苦しいこと夥しい。 桜の花は、賑やかな宴会には相応しくない。あの花の儚さすら感じさせるほの白さは、静かにそぞろ歩きながら愛でるのに相応しいのではないか?春の花なら桃の花のほうが爛漫の華やかさはある。 ・ ・・・しかし、桜が華やかさにやや欠けるところがあるからこそ、却って賑やかな宴会を催す気分になるのかもしれないな。 「願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月の頃」 これは、西行法師の晩年の詩として「山家集」に収録されている。この花は桜の花というのが定説だが、如月(二月)の望月(満月)というと、新暦では3月の下旬である。今年の「如月の望月」は3月20日であった。ちょっと桜には早いと思うのだが、当時(12世紀:平安末期)の気候は今より温暖だったのだろうか? 今年のこの日は、未だ大震災の余波も収まらず、気候も冬の名残の最中で、桜どころではなかった。 如月の望月の日(旧二月十五日)はお釈迦様の入寂の日(命日)とされており、西行は我が身の死の予感をこの詩に託したものらしい。 花見の宴会というと今から400年以上も前の「醍醐の花見」が有名だが、これは時の権力者秀吉の老衰を看取した醍醐寺の座主義演が、派手好きの英傑の最期に相応しい大舞台を、と催したもので、これも又死を予感させる宴であった。 「桜の木の下には、屍体が埋まっている」。 小説の冒頭にそう記したのは梶井基次郎であった。この小説の詳細はもう忘れてしまったが、病弱の主人公が病室の窓から見える孤桜が盛んに花を咲かせているのを見て、「あの木の根元には死体が埋められているに違いない」と妄想するとか、そんな内容ではなかったか? こうしてみると、先人たちはやはり満開の桜の花に、忍び寄る死の気配を見てとっていたように思える。 桜の花は左様にしみじみと無常を感じながら見るのが相応しいのかもしれない。今年の桜は期せずして、騒音も人ごみも少ない中で、しめやかに眺めることが出来るように思う。 ところで、今では桜というとソメイヨシノが全国で圧倒的な多数を占めている。 このソメイヨシノ、江戸の植木屋さんが創り出し、接木で増やして全国に広まったのだそうだ。ソメイヨシノは種を作らない。つまり自らの子孫を自分で残すことが出来ない。 全国津々浦々で花見の人気者であるソメイヨシノは、すべて江戸の下町に生まれた原木のクローンである。すなわちどの木のDNAも全く同じなのだ。 そういう話をしたら、ある人が「でもDNAが全部同じなのに、どうして木の形がそれぞれに違うのでしょうか?」と質問した。 ・・・ムムム。これは、遺伝子というものの本質に迫る優れた質問だと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.04.05 13:20:37
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