カテゴリ:そこいらの自然
【2011年辛卯 4月20日 水曜日 旧 三月十八日 乙巳(きのと み) 友引: 穀雨】
今日は二十四気の穀雨。この日、太陽の黄経は30度になる。 再び「暦便覧」によれば、穀雨は「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記されている。 この頃には、田畑の準備が整い、様々な作物の作付けがいよいよ始まる頃である。それに合わせるかのように、万物を静かに潤して清涼な春の雨が降る。だから穀雨。 しかし、今年は被災地では田畑そのものが流され、失われてしまったり、或いは放射能汚染のせいで作付けそのものが中止されてしまった。それかあらぬか、昨日の雨も冷たかった。東北地方では雪になり、お付き合いしたのか広島では時ならぬ春の積雪を見たそうだ。 この時期は気温の変化が激しく、時に梅雨を思わせるような蒸し々した中で降った雨もある。 1701年(元禄十四年)三月十四日(もちろん旧暦)には、例の「松の廊下事件」が起こっている。 これは日ごろから癇症だったらしい赤穂藩主浅野内匠頭が、江戸城内の儀典長のような立場にあった吉良上野介のいじめに業を煮やして、江戸城内松の廊下で彼に切りつけた事件だ。 これには、折から降っていた蒸し々じめじめした雨が、浅野の殿様をキレさせたのだ、という説がある。 因みに・・・「梅若の戻りに聞いた みけん傷」 これは江戸川柳だ。梅若とは謡曲「隅田川」の題材にも取り上げられている伝説上の子供で、人買いに誘拐され、東国にまで連れて行かれて、三月十五日(旧暦)に隅田川で遺体が発見された。それでこの日を「梅若忌」とし、墨田区の木母寺(もくぼじ)では供養が行われる。(現在では「梅若忌」は4月15日に行われている。)これにちなんで「梅若の涙雨」という言葉もある。察するにこれも、しとしとと降る温かい雨だったのではなかろうか? しかし、こうしてみると、松の廊下事件はもう翌日には江戸市中に伝わっていたわけで、メディアもインターネットも無い時代なのに、当時の情報伝播のスピードは中々のものだといえる。 かと思えば、「八十八夜の別れ霜」という言葉もある。八十八夜は、今年は5月2日(月曜日)だ。 私の印象だけかもしれないが、花見の喧騒が無かったせいなのか、何だか今年の季節のめぐりは遅いような気がする。 いずれにしても、この時期は入梅前の蒸し暑いくらいの日和があるかと思えば、急に霜が降りるような寒さが戻ってくることもあるのだ。 被災地の方々はもとより、ご同輩の方々にも、衷心より御身ご大切をお祈り申し上げる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.04.20 17:23:19
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