カテゴリ:よもやま話
【2011年辛卯 5月10日 火曜日 旧 四月八日 乙丑(きのと うし) 大安:】
<<A君へのメール>> A君; 下段のメール受け取りました。 返信が遅くなり失礼しました。 収入が不定期不安定なのに、毎月の出費は確実にやってくるのは、私も同じです。 「まともに生きる」ということは、定期的に発生するイベントに「特段の意識も無く」付き合っていけるということなのかもしれませんね。 >国が本気になれば、5年で原子力発電はいらなくなります。 ↑↑↑この「本気になれば」というのは、やはりお金のことなのでしょうか? 「例のバッテリー」というのは、おそらくはバナジウム・レドックス・フロー電池の類であろうと想像しますが、確かにこれは大容量の二次電池としての特性に優れているようですね。 しかし、資源としてのバナジウムの産出国は、南アフリカ、中国、ロシア、アメリカに偏在しており、この四カ国で世界の全産出量の90%を超えるそうです。 そうなると、これが普及すると、わが国としてはリチウムと同様、バナジウム資源の確保に相当注力しなければならないだろうとの心配が生じます。 バナジウムは、他にも合金や触媒、そして顔料などに用途と使用量が拡大しつつあるそうですが、資源調達の安定性は、どうなんでしょうね? 何れにしろ、風力発電や太陽光発電などによる発電量の平滑化を実現するためには、バナジウム二次電池に対する期待値が大きいようですので、私も大いに興味のあるところです。 >あの会社は、経産省の支持を得て、名古屋に工場をつくることになりました。 ↑↑↑なるほど、そうですか?住友が邪魔して名古屋が受け入れる。(バナジウム電池は、日本では住友電工が2000年頃から発売しているそうですね) これは背後で関西電力と中部電力の確執も関係しているのでしょうか? ところで、最近ある人を経由して、「岐阜で核融合発電の研究が進められている」という話を聞きました。 岐阜で核融合というのがちょっと不思議ですが、岐阜大学でそんな研究開発がなされているのでしょうか?貴兄の耳には何か届いていますか? 今回の福島原発の事故と、その後処理の過程を見ていると、私には二つの問題点が見えてきます。 一つには、埋蔵資源を使用して人間の活動のためのエネルギーを創り出す方式には、何であれ所詮限界や弊害があるのだということ。 石炭や石油を燃やしてエネルギー(具体的・最終的には電気)を取り出すのも、核分裂や核融合を利用するのも本質は同じです。 物理的には、低エントロピーの「資源」を利用して、そのエントロピーを増大させる過程からエネルギーを取り出すという事です。従って発電の産物としては高エントロピーの廃棄物が出るのは不可避であり、これが石油や石炭の場合はCO2やその他の廃棄物質、原子力発電の場合には放射性廃棄物になるのですね。 そうなると、埋蔵資源ではないエネルギー源を使うということになりますが、それはたとえば水力発電(土地の高低によるポテンシャルエネルギーを利用する)、風力発電、地熱発電(気圧の高低差、地熱の高低差を利用する)、そして太陽光を利用するということになりますが、これらは局所依存的で、しかもエネルギー源として供給の安定性を欠いているのが欠点です。 第二に、原子力発電では使用する資源も廃棄物も、生物にとって致命的な有害性を持っているために、エネルギーの抽出機構を、外界から完全に隔離しなければなりません。そのために複雑で大規模な十重二十重の「封じ込め機構」が必要になります。 こういう機構は「設計条件」という(当時に定められた)境界条件に依存して作られるため、今回の大地震や津波のような「想定外の状況」には、本質的に耐えることはできないのは自明です。 地震やそれによる津波などは、未だ人間が予測もコントロールも出来ないものである以上、設計上の境界条件など、「現実の境界条件」足りえません。これは科学技術の発展に規制されるため、過去には活断層の真上に原発が建設されるようなこともあったわけです。 それに、機械や機構の部品には必ず「故障率」というものがあります。原発を構成する部品の点数が幾つあるか、それぞれの部品の故障率がどれほどに設定されているか、私は知りません。 しかし、よしんば一個の部品の故障率が百万分の一に設定されていれば、この部品が百万個で構成される機械や機構が故障する確率は理論上1になってしまいます。 また更に、個々の部品は相互に関連しあっているため、今回のような「想定外」の事態になれば、故障や損傷による機構全体の不具合はとても人間の手に負えるものではなくなってしまいます。 福島原発の事故は、要するにそういうもので、その後の推移に見るドタバタや後手後手も不可避的なものであるということになります。 つまるところは、「プロメテウスの火」の現代版ですね。 原発は高度技術の賜物といわれていますが、所詮は「巨大な湯沸し」に過ぎません。 古代人が薪を拾ってきて釜で湯を沸かしたのと同じ事を、複雑な機構と本来有害な「薪」を燃やしてやっていることを思えば皮肉な話です。 従って、この際なるべく埋蔵資源に頼らず、低エントロピー資源を太陽や風、地熱などの「自然」に求め、それらにまつわる供給不安定性を優れた二次電池よって補填する。 そういう意味で、貴兄の関係しておられるバナジウム電池も貴重な可能性だと思うのです。 願わくば貴兄の関係する事業がうまく行きますように。今後とも頑張ってくださいね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.05.13 16:37:01
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