カテゴリ:よもやま話
【2011年(辛卯) 9月8日(木曜日) 旧8月11日 丙寅 赤口 二十四気の白露】
今日は二十四気の「白露」。朝夕に草木の葉の末に結露が見られる頃という意味だ。 日本人は透明とか無色を表すのに、「白」という「癖」がある。夏の驟雨を表す「白雨」というのもそうだし、かき氷にかける甘みも、「イチゴ」、「ミルク」、とあって、糖蜜だけのシロップは「白」といった。「ミルク」のシロップは見た目には白いのだけど、これは「白」とは言わず、あくまでも「ミルク」だった。 名古屋名物(?)の「ういろう」も、「♪白、黒、抹茶、あがり、コーヒー、柚子、桜♪」とコマーシャルで唄っていた。この内の「白」は単に砂糖の甘みで作られたもののことをいう。黒は「黒砂糖味」ということだが、「あがり」というのは何だったろう? ともあれ、白露の候ともなれば、いよいよ秋の気配は濃くなる。 さて、それはさておき、今読んでいる本に蝶や蛾の口吻のことが書いてあった。 我々の口は、頭蓋骨の下に、昔祖先だった魚の鰓(エラ)が張り出してきて下顎になって出来たのだそうだ。それと共に鰓の出口(鰓は口から入った水の中の酸素や栄養物を漉しとると共に、余分な水の排出孔でもあった)を失い、口が呼吸の際の空気の入口と出口を兼ねることになった。 口は勿論食べ物にとっては入口である。あくまでも口は入口であって、出口はご存知の通り別のところにある。これが一緒だったら、ちょっと食事時には言いにくい仕儀とはなる。 ところがこの口が呼吸(酸素の取り込みと排出)を兼ねることになったために、色々不都合なことが出来てきた。呼吸の際には口は入口と出口の役割を交互に行うことになる。一方食事に際しては、口は取り込むだけだ。それを、喉の奥で切り替えている。 だから、物を食べながら(特に飲み込む際には)話すことは出来ないし、そのことから(多分)食べ物を口に入れたままで話すのはお行儀が悪い、ということになった。つまり、口は気道と食道が共有する出入り口であるため、双方はちゃんとその都度分離されなければならないというわけだ。 実際、マンナンライフが問題になったのも、子供やお年寄りによる誤嚥下(食べ物が誤って食道ではなく気道に入ってしまうこと)のせいであり、高齢者が食べ物を喉に詰まらせて呼吸困難に陥ったり、悪くすると肺炎(気道の炎症)を起こしたりするのもこのせいだ。 どうも人間の体のデザインは、祖先が無理して海から陸に上がったり、更には四足のままで満足せずに二本足で立ち上がったために、随分無理な変更を強いられたらしい。 我々が当たり前のようにお付き合いを余儀なくされている「肩こり」も、その原因の一部は、神経の束が鎖骨と肩甲骨の間に「無理やり」配線されているところにあるようだ。 ところで、昆虫は人間とは全くといっていいほど異なるデザインコンセプトの下にあるようだ。 先ず、昆虫の口は「立て口」で、人間のように「横口」ではない。人間はあくびをする時口を大きく上下に開けるが、昆虫はあくびをする時(昆虫があくびをするかどうかは知らない)は口を大きく横に開ける。 これは人間とは異なり昆虫は外骨格で、体節が組み合わさって体が出来上がるというデザインが採用されているからだそうだ。 私の知人には、昆虫を目の敵にしている人が居る。彼女(その人は女性です)は、昆虫の外骨格が非現実的で許せないとおっしゃる。「ムシは硬いからヤダ!」と。この場合「ヤダ」というのには異質なものに対する「恐怖」や「畏れ」、そして「嫌悪」の気持ちが込められている。この人は、一方でカエルやヘビ、イモリやヤモリなど、普通の女性なら気味悪がるイキモノたちを「可愛い!」とおっしゃる。「彼らは虫を食べるし、柔らかいから」だそうだ。 左様に、昆虫は我々とは別次元のデザインコンセプトの下で進化してきたイキモノ達だが、地球上の全ての陸棲動物の内約80%以上を昆虫が占めていることを知れば、むしろ昆虫の方がメジャーで我々はマイナーな存在だといわざるを得ない。 さて、かの人が昆虫の中でも「嫌いだ!」とおっしゃるのは、セミや蝶、蛾など、樹液や花の蜜を吸う虫たちである。「あんなストローみたいな口でどうしようって言うの。信じられない!」だそうだ。 これらの虫たちの「ストロー」は体節に付属する肢が変化したもので、それが長く管状に進化した結果である。基本はやはり「立て口」なのだ。あのストローは「口吻」と呼ばれている。 セミならば樹皮に、蝶や蛾なら花の奥に口吻を突き立てたり差し込んだりして、樹液や蜜を吸っている。我々も飲みものを摂取するのにストローを使うが、その際には呼吸器官を使って「吸い込む」必要がある。そして吸い込んだ液体を気管ではなく食道に送り込むために、一種の「スイッチ操作」をしなければならない。その際に、誤って液体が気道に入り込んで「むせる」のは良く経験するところだ。 しかし、セミや蝶は「吸わない」。 彼らは「毛細管現象」で、樹液や花蜜が自然に口吻(ストロー)から上がってくるのを、舐めとっているのだ。そして昆虫の体の側面には呼吸のための孔が開いているから、食事の間も平気で呼吸を続けることが出来る。行ってみればお酒を飲みながら、その最中に呼吸をしているのだ。彼らは口からは呼吸しない。 だから、昆虫をやっつけようとすれば、この体側の呼吸孔を何らかの手段で塞いでしまえば良い。昆虫を水浸しにすれば、もっと念を入れて石鹸などの界面活性剤を含んだ液体に浸せば、彼らはあえなく一巻の終わりとなる。 しかし、私は生物多様性を護持する見地から、この事を虫嫌いの彼女には教えない。 さて、ここでモスラの登場である。 モスラは1961年(昭和36年)の東宝映画に出てくる、蛾の怪獣である。ゴジラやラドンと並んで「東宝三大怪獣」と称される、当時の銀幕のスターだ。 このモスラ、生まれ故郷の島から、芋虫の姿で日本にやってきて、途中で様々な被害を生じさせる。やがて人間側の様々な攻撃にも係らず東京タワーに蛹をかけ、羽化して巨大な蛾になる。そして、やがてザ・ピーナツ(古い!)の唄に誘われるように、故郷の島に帰っていくのだ。 ところで、当時のポスターを観ると、この蛾は本当にかなりデカイ。 モスラの諸元は知らないが、東京タワーにかけられた蛹の大きさ(とザ・ピーナツとの比較)からすると、体長は少なくとも数十メートルはありそうだ。 こんな大きな蛾が、昆虫としての体の構造と筋肉で飛べたものかとうか甚だ疑問だが、それをさておいたとしても、この蛾は羽化後の食事はどうしたのだろうか? 毛細管現象で、液体がある直径(d)の管の中を昇ることが出来る高さ(h)は、 h = 4Tcosθ÷ρgd という式で表される。ここでTは表面張力、θは対象とストローの接触角、ρは液体の密度、そしてgは重力加速度である。 今ストローがガラスで出来た直径0.1ミリで、水を液体とした時にはhは約30センチになる。 我々が普通に目にする虫たちは大体こんなスケールだから、セミや蝶、蛾たちは悠々と樹液や花蜜を食することが出来る。 ところがモスラほどの大きさになると、体の各部分の大きさが、相似形を保ちながら大きくなるとして(そうでなければモスラは「巨大蛾」としてのスタイルを失うだろう)、このストローは直径10センチほどにはなるだろう。 そうなると、上の公式を見れば単純に言って、hは上の値の千分の一程度になる。と、いうことはモスラが幾ら花蜜を吸おうとしても、ストローの先端から0.3ミリ程度のところまでしか蜜は届かない。 つまり、モスラは蛾になった時から餌を獲ることができなくなり、飢え死にしてしまう。とても故郷の「インファント島」まで飛んでいけるどころではないのだ。 モスラが毛細管現象ではなく、ストローを「吸い込んで」蜜を獲るのだとすれば、それを可能にする呼吸のメカニズムを新たに開発しなければならず、その結果は最早昆虫とは言えない。 インファント島の水爆実験が如何に「原モスラ」の遺伝子に作用したとしても、ちょっと無理すぎる「突然変異」だと言わざるを得ないのだ。 こういう事を考え出すと、気になってしょうがないのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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