カテゴリ:そこいらの自然
【9月10日(土曜日) 旧八月十三日 戊辰 友引】
今日は日本でカラーテレビの放送が開始された日だそうだ。1960(昭和35)年のことだ。 この日からテレビの映像は、白黒の明暗画像から極彩色に変わり、そのお蔭で視聴者の想像力は自ずと制限されるようになった。 それが最近は地デジ化やハイビジョン放送などのお蔭で、テレビの画面は非常に高精細になって、ちょっと見には写真を観ているのと変わらない。 自然や、美術館、それに景勝地の映像など、美しいのは確かに非常に美しい。しかし、同時に女優さんの顔の毛穴までつぶさに見えてしまい、美しいかんばせに小さな瑕疵でも見つけようものなら却ってお気の毒になる。 以前のように、走査線のすだれ越しに映像を観ている頃と比べれば、画の粗さで却って想像力を刺激されていたことなど遥かに昔のことだ。 ところで、生き物が眼を持つようになったのは、今を去ること約5億4300万年前。地質年代でいうとカンブリア紀の事だ。最初に眼を獲得した、つまり最初に世界を「見た」生き物は三葉虫だったそうだ。少なくとも化石においてはそういうことになっているらしい。 それ以前の生き物(この頃は未だ全ての動物は海棲であった)には眼は無かった。 しかし多くの動物は、眼の前身ともいえる光の明暗を感知できるセンサーを持っていたそうだ。だから、海の浅いところで傍を何者かが通過して光が遮られた場合には、漠然とそれを「感じる」ことはできた筈だそうだ。然しその「何ものか」が餌なのか、或いはこっちが餌になりかかっているのか、はたまた上から石ころが落ちて来たのかは想像するしかなかった。 つまりは、明暗センサーを頼りに「そのもの」の影に向かっていっても、次の瞬間餌を確保できるか、或いは逆に餌にされてしまうか、はたまたぶつかって怪我をするかは、全ては「賽の目の出たとこ勝負」、運の為せる業であった。 ところが、眼を獲得した三葉虫には、それこそ画期的な「視野」が開けた。前を横切るものの正体を朧げながらも「見極める」ことが出来るのだ。因みに三葉虫の眼は複眼だったので、我々が見るような明瞭な世界を「眼」にすることは出来なかった。複眼は現世の昆虫も持っているが、これは映像を見るというより、動きを感知できるモーションセンサーの働きをしているらしい。 それでも周りは眼のない連中ばかりの中で、眼が見えるようになった三葉虫は、まさに餌の獲り放題、連日連夜酒池肉林、飽食の限りを尽くしたことだろう。 そのせいで三葉虫はカンブリア紀から古生代全般を通じて最も繁栄した生き物である。化石の写真では三葉虫はゴキブリの親戚のように見えるが、大きさもゴキブリ大から数十センチまでとヴァリエーションが豊かで(数十センチものゴキブリなど、想像するだにおぞましいではないか。昆虫嫌いのかの人など、話を聞いただけで卒倒してしまうだろう。)、仲間は一万種ほどにも及ぶ。 本物のゴキブリが出てくるのは未だずっと先の話であるから、正しくはゴキブリが三葉虫の親戚に見えるというべきだろうが。 こうなると、より良い視覚を求めて、眼はどんどん進化し、精巧になる。その内立体視も可能になる。更に獲物狩りは、眼のお蔭で狡知に長けたものとなっていったのだ。 しかし餌にされる側、つまり被食者の側も、ただ漫然と眼のある連中に食われるままの境遇に甘んじていたわけではない。飽食の暴君に対抗すべく新たに眼を開発した連中が出てきた。俊敏に動いて逃走する能力を開発したものも出てきた。また自分に「眼をつけて」襲ってくる捕食者から身を守るために、硬い殻や甲を見に纏うものも出てきた。又三葉虫自身も同属から喰われてしまうのを防ぐために鎧を纏うようになった。初期の三葉虫には硬い外骨格はなかったらしい。 つまりあるものは防衛方針を優先させて、鎧や甲羅を纏った。これは外骨格派である。別の一派は骨を体内に形成させ、俊敏さを獲得した。これが内骨格派である。我々ヒトは勿論内骨格派に組するものである。 こうして世界の動物はそれまでの「運任せ」の食生活から、狙って食うか、或いは狙われて食われるかという、弱肉強食の時代に突入して言ったのだ。 この時代、酸素濃度は現在より高かったようで、濃い酸素の効果も相俟って、生き物達は一挙に様々な「形態上の実験」に打って出た。つまり「視野」が開けたことをきっかけにして、捕食上や防衛上の見地から、考え得るありとあらゆる「形状」の実験を、まさに身を以って展開したのである。 これが「カンブリア大爆発」と呼ばれる、生物形態の多様化である。この頃出てきた殆ど冗談としか思えない形をした生き物達は、最近は色々な本でその姿が紹介されている。 このカンブリア大爆発の結果現世動物の全ての形態が出揃ったのだそうだ。 カンブリア大爆発は眼の誕生から僅か100万年後に始まり(「進化」の時間スケールからいえば、100万年は本当に僅かな短い時間なのだ。)、そして約1200万年続いた。 そして文字通り百花繚乱の「形態のファッションショー」が終わると、多くの「カンブリア大爆発の申し子」たちは、淘汰の荒波に浚われて消え去っていったのだ。 眼が登場したことこそがカンブリア大爆発の原因である。更に言えば、眼の獲得こそが現在の我々を含む全ての動物の揺籃をもたらしたのだ。 これは21世紀に入ってから提唱されるようになった新しい学説で、例えば『眼の誕生』(アンドリュー・パーカー著:邦訳は草思社2003年)に紹介されている。 音だけの放送から画が見えるテレビ放送、そして色の付いたカラー放送になって、我々の想像力は減退していった。 一方で生き物の世界では、「見える」ようになって創造力が爆発したという訳だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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