カテゴリ:そこいらの自然
【9月15日(木曜日) 旧八月十八日 癸酉 先勝 居待月】
13日は月齢を基にする旧暦では仲秋の名月、つまり八月十五夜、満月であった。 8年ぶりの「熱帯夜の十五夜」だったそうだが、それでも月が屋根の向こうに姿を現す頃には、秋の到来を思わせる風が立った。 そして今日は「居待月」である。 日本人は観月、つまり月を眺めるのが大好きなようで、十五夜だけで無く、その次の夜の月、又その次の夜の月、・・・と随分しつこく月を愛でていた。それぞれの夜の月には、十六夜(いざよい)、立待(たちまち=「たちまち現れる」の語源である)月、居待(いまち)月、寝待(ねまち)月、更待(さらまち)月と、ちゃんと名前まで付いている。それぞれに「待ち」という字が付いているから、月が東の空に昇ってくるのを待ち焦がれていた気持ちが伺われる。 ところで、月の公転周期(地球の周りを一周する時間)は、現在27.32日である(少しずつ長くなっている)。本当はもっと細かい端数まであるが、私には小数点二桁もあれば充分だ。 つまり月は一日に地球の周りを約13.2度だけ動く。(360度÷27.32=13.177・・・度。)これも13.2度としておけば充分だ。 月の公転方向は地球の北極方向から見れば左回り(反時計周り)だ。つまり、地球から見ると月は空(天球上)の東の方に向かって、一日に13.2度ずつ動いているように見える。 さて、地球は周知のように、一日=24時間を周期として自転している。これも、もっと細かい端数まであるが、私には24時間で充分だ。 これを言い換えると、地球から見て空の同じ位置は24時間後に戻ってくることになる。地球は同時に太陽の周りを(月を連れて)一年かけて公転しているから、「空の同じ位置」は一日に1度だけ昨日の晩よりずれていく。(これも1年は365日だとか、そういう細かいことは忘れる事にする。更には一日に1度ずつずれることも、この際忘れる事にする!) さてそうなると、空は地球から見て1時間に15度ずつ(360度÷24=15度)東から西に向かって動いていくことになるのだ。 此処に月の公転による動きを重ねると、月は24時間後には13.2度だけ東にずれているということになる。 この13.2度は時間にすると0.88時間(13.2÷15=0.88)になり、52.8分となる。 いいかえれば、月の出は毎日約52分ずつ「遅くなる」ということである。 ここでまたまた大雑把に(私は昔物理を勉強していたせいで、この「大雑把」というのが大好きなのだ。)、満月のとき月は午後6時に東の地平線から昇って来て、深夜0時に中天に懸かり(南中という)、朝の6時に西の地平線に沈むと考える。まぁ、そう大雑把に考えても人生の一大事には関係ない。 そうすると、「十六夜」の月の出は午後7時近く。「立待月」の出は午後7時45分頃。「居待月」の出は午後8時半頃。「寝待月」の出は午後9時半頃となり、「更待月」の出は午後10時20分頃になる。 月が地平線に出た辺りでは、昔だって隣の家だの、木立だの、色々障害物もあって月も良く見えなかっただろう。それに地平線近くでは、月光も厚い大気の層を透過して来るせいで、赤っぽく濁って見え、余り美しくない。 だから、東に昇って来た月が「見ごろ」になるのは、月の出から1時間ほど経って、少なくとも15度ほど動いた辺りである。都会では30度ほども昇らないと、ビルやら何やらで見えないところも多い。 因みに、腕を伸ばして指を一杯に開いたとき、親指の頭から中指の先端までが、大体15度の視角に相当するから、ためしてご覧になると、この辺は感覚的に理解できるだろう。 そうなると、「見ごろの月」を拝める時刻は、 十五夜(満月)で午後7時頃。 十六夜で午後8時頃。 立待月で午後9時近く。・・・夕方から立って待つにはちょっと辛いか? 居待月で午後9時半。・・・そろそろ座って一杯でもやっていないと。 寝待月で午後10時半。・・・もう子供は寝ているな。 更待月で午後11時半。・・・もう居酒屋も店じまいして、終電車も気になりだす頃だ。 いずれにしても、宵の内から夜半近くに至るまで、延べ6日間にもわたってしつこくお月見をしていたのだから、昔の人は余程お月様が好きだったのか、あるいは暇で他にやることが無かったのか・・・・ 何れにしろ、今夜は居待の月。今夜もこの辺のお天気は良いらしい。 十五夜をご覧になれなかった方は、午後9時半過ぎに、帰宅の途中、或いは居酒屋を一旦お出ましになって、東の空を仰いでご覧になるのも一興かと。 今夜の月は向かって右側(東の地平線から遠い側)が、もう少し欠けているはずだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.09.15 16:26:10
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