カテゴリ:よもやま話
【2月4日(土曜日) 旧壬辰一月十三日 乙未 先勝 月齢11.8 立春】
今日は立春。 部屋を掃除して昨晩撒いた炒り豆を見つけて、拾って思わず口に運んでしまう・・・なんて方もいらっしゃるかも知れない。(私はそうだった。思いがけず見つけた炒り豆は何故か格別美味しいのだ。) 今では節分の行事は2月にしか行われないが、昔は四季の節分ごとに行われていた。節分は元来、「立」を冠する節気、つまり立春、立夏、立秋、立冬の、それぞれの日の前日の事を言う。 昔の人は季節が移り変わる刹那には邪気(つまり表象としては「鬼」ですな)が漂い出してくると信じていた。それで、各節分の日の夜には宮中では邪気祓えの行事が行われていたのだ。その内に、特に立春の前日の節分会が他を圧して民草の間に流布し、定着して行き、節分と言えば2月の行事になった。 節分には「柊鰯」といって、ヒイラギの枝にイワシの頭をさして門口に飾ったり、「鬼打ち豆」を投げたりするが、これらも元々は宮中行事での仕来りに由来する。昔は豆に限らず、米やかち栗など所謂五穀なども用いられ、更には炭なども撒かれていたようだ。炭などを撒かれたら、鬼はいよいよ迷惑しただろうと思う。 宮中の行事が、時代が下るにつれて民草の間に広がっていく例はひな祭りなどにも見られるが、節分の邪気(鬼)祓えの行事も室町時代の頃から徐々に民間に広まっていったらしい。能や茶の湯など、日本の伝統文化の多くは室町時代にその起源を持っているものが数多くある事を思えば、室町時代というのは中々大したものだと思う。 ところで、春の節分に豆を撒いて鬼を祓い、福を迎え入れる行事は、実は日本固有のものだというのは意外である。中国や他の国では節分に特別な行事を執り行う習慣は無いのだ。わが国の伝統習慣の多くが中国に由来するものである事を思えば、日本だけにしか無い豆撒きというのは、少し偉そうに見えてくる。 節分は日本だけの行事だが、立春の方は中国など幾つかの国ではお祝いの行事が行われている。立春を祝うのは概して冬の長い北国方面で盛んなようで、冬が漸く峠を迎え、季節が春に向かい始める喜びを思いやると、この日を祝いたくなる気持ちは大いに肯える。 太陰太陽暦では、「立春正月」といって、この日が旧暦の元旦になる年がある。 太陰暦では新月(朔)の日に暦の月が改まる。月齢の周期は約29日だから、太陽暦である「立春」(太陽の黄経が315度)との相関は年々ずれていく。今年の場合には立春は旧暦の一月十三日だが、およそ30年毎に旧正月元旦が立春と重なる事が起きるのだ。これを立春正月又は「朔旦立春」といい、最近では1954(昭和29)年と1992(平成4)年がそうであった。因みに次の「朔旦立春」の年は2038年、今から26年後のことだ。 立春にはそういう特別な意味も付随する。この日が丁度元旦にならなくても、立春は「正月節」にあるため、旧暦でも新暦でも、お正月以来の初々しくお目出度い雰囲気が少しは残っている頃だ。そういう事情もあって、他の三つの「節分」の行事は廃れてしまったけれど、2月の節分だけは、年中行事として今に残るようになったのかもしれない。 禅寺では、立春の早朝に山門に「立春大吉」と書いた札を貼ってこの日を寿ぐことが行われる。中国では、北京など北方地域で、立春の日に春餅(チュン・ビン)を食べる習慣がある。 さてこの春餅、小麦粉を水に溶いて、丸く薄くクレープのように焼いたのを油で炒めたものだ。これに色々な料理を包んで、ちょうど北京ダックを食べる時と同じようにして食べるのだ。 人数に応じた枚数の春餅を用意し、後は皆でテーブルについで色々料理を選びながら、自分でそれらを包んで食べる。春を待つ北国の人々の喜びが感じられるではないか。それより何より美味しそうだ。 中国では北京などに春餅専門店もあり、立春の日にはそういう店は随分混雑するそうだ。私自身は未だ見つけていないけれど、日本でも、東京や横浜、それに神戸などには、春餅を出す店がきっとあるはずだ。いつか何人かで連れ立って是非行ってみたいと思う。 さて、立春といっても「今日から春」ではない。逆に今は一番寒い頃だ。これから、「雪や氷が融け出して、降るものも雪から雨に代る頃」の雨水、「土中に冬篭りしていた虫などが、土を啓(ひら)いて外に出てくる頃」の啓蟄と、徐々に季節は進んでいく。 世の中はまだまだ乾燥して寒い日が続くし、インフルエンザも大流行中である。方々にはくれぐれもお気をつけられて、ご自愛の上、春に向われるようお祈り申し上げたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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