カテゴリ:日ノ本は言霊の幸はう国
【5月3日(木曜) 壬辰 旧閏三月十三日 甲子 先負 月齢11.8 憲法記念日】
世間では、今日から「大連休」の後半に入ったが、首都圏では昨晩から雨模様。それも荒れ模様といっても良いくらいのお天気で、方々に大雨や洪水、土砂崩れなどの警報すら出ている。それらの方面に行楽を予定されていらした方々にはお生憎さまである。それでも、こちらでは明日辺りには再び五月の太陽が望めそうな予報だ。雨で洗われた木々の若芽がさぞかし心地よかろうと、私はそちらの方が楽しみだ。 最近の報道で面白いことを言っていた。年末年始やお盆休みなど、長期の連休になると故郷へ帰省する人も多いが、そちらには概ね老夫婦が住んでいらっしゃる。つまり帰省する側の若夫婦からすれば、舅、姑さんだ。さてこの、特に姑さんにとって、息子夫婦が(大抵帰省先は夫の実家となることが多い)帰ってくるのは、必ずしも歓迎されていないというのだ。 ある調査によると、対象となった姑さんの約三割強が息子夫婦たちの帰省を「痛し痒し」と捉えているのだそうだ。特に今年のように長い連休になると、いっそ「迷惑だ」ということになるらしい。 その理由の第一が、「自分の時間が奪われてしまう」ということだそうだ。 私も両親が存命中は、良く娘たちと共に両親の住む故郷に帰省したものだが、そういう時には、何となく「親孝行しに帰る」という気持ちがあった。大げさに言えば田舎に蟄居して無聊をかこつて居る(と、そう思っていた)老夫婦に、孫の顔でも見せて喜ばせる、という「善行を施す」気持ちがあったように思う。 ところが帰ってこられる側の姑さんからすれば、「自分の時間が奪われる」、「ご馳走を作ったり、普段より沢山の洗い物や洗濯など、余計な仕事が増える」、「普段より出費がかさむ」となる。それに加えて、「嫁が何もしない、だらしが無い」、「嫁まで朝寝坊して平気だ」など、息子の妻に、同性、「同職」の立場で批判が募る。更には「自分の息子を嫁が呼び捨てにする」、「○×ちゃんなどとチャン付けで呼びつける」などと、「他人」に自分の血肉を分けた肉親である息子が軽んじられているようにも感じて、それも不満を募らせる理由らしい。 こうしてみると、戦後以来急速に進んだといわれる核家族化は、日本人の伝統的習慣に対する気持ちまで変えつつあるようだ。 昔でも同じような感情の軋轢はあったろうが、その時代には一家一族の「長」としての「舅」の権威が「抑え」として働いていた。今では舅の力は当時と比べて格段に弱くなっていて、一族どころか家族を纏めるに有効には働かない。ただ、孫に遊ばれて喜んでいる好々爺としての役割を担うのみで、自らの妻からも批判を買うのかもしれない。 それでも、舅は勿論だが、姑の7割以上は「孫が帰ってくるのは歓迎」なのだそうだ。 今帰省している夫婦は、何れ「帰省される側」になる時期が来る頃には、どうなっているのだろうか? もうひとつ、昨日の話題から。 神奈川県相模原市で迷子になったインコが、迷った先に行き着いたところで、自分が飼われていた家の所番地を喋って、無事に飼い主の許に戻ったそうだ。これは「偉いインコだねぇ!健気だねぇ」ということで、一種の美談として報道されていた。 このインコ、市区だけでなく、その先の丁目と番地まで「復唱」したそうだが、報道では「さがみはらし、みどりく」までで、後は伏せられていた。 飼い主さんは手放しのお喜びで、それは何よりなのだが、私など「インコにまで詳しい住所を教え込んで大丈夫かい?」と思ってしまった。そう感じた人も多いのではないか? 昨年の3・11以来、この国では「絆」という言葉や「思想」が流行しているが、家族や血族との絆も、禽獣との絆も、「個人」や「個人情報」という、先の大戦に負けて以来急速に普及しつつある「新思想」とは、どうも未だちゃんと折り合いが着いていないような気がしてならない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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