カテゴリ:よもやま話
【6月16日(日曜日) 旧五月八日 癸丑 赤口 月齢7.5】
江戸時代、森一鳳(いっぽう)という画工が居た。円山派の絵師で幕末から活躍し明治四年まで生きた。 漱石先生は歳が明治の年号と同じだから、漱石が四歳、未だ金之助の頃に没したわけだ。 一鳳は「藻刈舟図」で往時の人気を博した。 藻刈舟(もかりぶね)とは、琵琶湖などの湖で、藻が繁茂しすぎた際に、これを刈り取るための舟のことだ。 云わば環境整備事業だが、往時は夏の風物詩として、湖畔の人々には馴染みのもので、俳句の夏の季語にもなっている。 さてその頃、梅村景山、桜村という絵師が居て、彼らも藻刈舟をよく描いたが、如何せん一鳳の人気には遠く及ばなかった。 それで、一鳳の藻刈船は「儲かる一方(一鳳)」、景山のそれは「倍損(梅村)」、そして桜村に至っては「大損(桜村)」と巷間言われたそうだ。 巷間といっても当時「大名金貸し」としてバブル期にあった、大阪商人の間でのこと。 如何にも大阪らしい話である。 これも漱石先生からの触発。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.06.16 13:30:49
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