はやぶさは可愛い
☆ 8月3日(火曜日) 旧六月二十三日 丙戌(きのと とり) 仏滅: 下弦、秋田竿灯はやぶさは可愛い。鳥のはやぶさのことではない。日本が2003年5月に打ち上げた小惑星探査機の事だ。はやぶさは今年の6月、7年間に及ぶ孤独な旅を経て地球近傍にまで帰還し、はるばる持ち帰った、イトカワという名の小惑星のサンプルが入っているはずのカプセルを、無事オーストラリアの砂漠に投げ落とした。カプセルの中にイトカワのかけらが入っているのかどうか、まだ最終的な分析には時間がかかるそうだ。はやぶさは地球を飛び立って以来、7年間で60億kmにおよぶ距離を旅し、再び地球近傍にまで戻ってきた。60億kmといわれてもピンと来ないが、地球から月までの間を約8千回も往復する距離に相当するといえば、或いは地球と太陽との間を40回往復するといえば、・・・やっぱりピンと来ないか。何れにしても途方もない距離であることは確かだ。これだけの距離を旅した探査機はやぶさはどれほどの大きさかというと、縦横それぞれ1.5mで、重さ510kgである(太陽電池を広げた大きさを除く)。つまりは、ちょっと大き目の事務机を二つ繋げたくらいの大きさで、重さはトヨタのハイブリッド車プリウスの3分の1程度である。旅の総行程と比べればいかにも小さい。こんな小さな、しかし精緻な構造物が、60億kmという真空の中を旅し、しかも往きっ放しではなく、ちゃんと故郷にまで帰ってきたのだ。如何にもいじらしくも可愛いではないか。しかもはやぶさは、というよりこのプロジェクト全体は、横紙破りと言って良い位に世界の常識を覆したチャレンジの連続であったし、探査機はやぶさの飛行も幾多のハプニングの連続であった。先ず打ち上げに使われたM-Vロケットは、世界の主流をなす液体ロケットではなく、日本の伝統技術を駆使した固形燃料ロケットであった。液体ロケットは、車と同じように燃料バルブの調節によって、速度や方向などの微妙なコントロールが出来る。しかし固形燃料によるロケットは花火と同じで、いったん火を点けたらそれっきりである。だから、軌道に乗せるのに精密な制御を必要とする人工衛星を打ち上げたり、ましてや地球の軌道を遠く離れた惑星空間にまで、計算どおりに正確な軌道に探査機を運ぶのには固形燃料ロケットでは到底無理だ、というのが「業界」の常識であった。しかし、日本は糸川英雄博士以来の伝統と技術を駆使して、この難しい課題を成し遂げた。固形燃料ロケットは欠点もあるけれど、液体燃料ロケットに較べて、推進制御系がシンプルであるとか、燃料の管理・保全が易しいとか様々な利点も多い。その固形燃料ロケットにおいて、日本に肩を並べられる国は、他に何処にも無い。はやぶさは他にも数多くの、「世界初」を達成した。ざっと並べると;マイクロ波放電型イオンエンジンの初運用。宇宙用リチウムイオン二次電池の初運用。イオンエンジンを併用した初の地球スイングバイ。地球と月以外の天体からの初の離陸。地球以外の天体における、着陸した姿、まるのままでの初めての離陸(アメリカの月探査機などは、着陸した時の機体の一部を発射台として使い、発射台そのものは「宇宙ゴミ」として置き去りにしたままである)。世界で初めて、宇宙機の故障したエンジン2基を組み合わせて1基分の推力を確保。月以外の天体からの初の地球帰還(固体表面への着陸を伴う天体間往復航行)。そして、カブセルの中身の分析次第によっては、月以外の天体の表面からのサンプルリターン(試料持ち帰り)も勿論「世界初」となるのだ。イオンエンジンというのは、僅少の燃料で時間をかけてゆっくり加速しながら、最終的には非常な高速にまで到達できるエンジンだ。スイングバイというのは、天体の重力をちゃっかり借用して、「都合よく振り飛ばされる」という加速方法である。どちらも、日本ならでの「エコ」手法である。また、故障したエンジンを組み合わせて、宇宙空間で迷子になっていたはやぶさを何とか地球の近傍まで呼び戻したというのは、日本の技術者とはやぶさの「人機一体」とでもいうべき奮闘の成果であり、涙を誘う美談とも言える。この辺の詳しい記録を読むと、ますますはやぶさに可愛さが募るのだ。更に、はやぶさは、今までの宇宙探査の歴史で、最も小さい天体へ着陸し、そこから再び離陸した。また、宇宙探査機としては、最も長い期間(2,592日)、最も長い距離(60億km)を、最も長い時間にわたって動力航行し、地球に帰還した宇宙機でもあるのだ。(尤もこれらの記録は、まだ全部最終確認されたわけではない。)こうしてみると、ギネスブックの記録更新のリストみたいだが、「だからそれがどうしたの?」という人が必ず出てくる。はやぶさプロジェクトには総計で210億円程度のお金がかかっている。はやぶさ本体の開発費に約126億円、打ち上げ費用に約64億円、運用費に7億円程度、その他で約13億円だそうだ。「それだけのお金をかけて、ちっぽけな岩の塊(イトカワは長径530m、短径300mの「ちっぽけな」ピーナツ型、或いはラッコの形をしている)を調べて何の意味があるのですか?」「アメリカには幾らでもロケットがあるし、国際協力としてそれに相乗りすればいいじゃないですか。なぜ日本が独自にそれをやらなければならないのですか?」「世界一とか世界初とかいって、どうして二番じゃダメなんですか?」・・・こういう人には、何を言っても無駄かもしれない。少なくともロマンは分からない。小惑星を知ることは、我々の地球の由来を知ることでもあるのだ。我々の地球の過去を知ることは、同時に我々の未来を知る手がかりでもあるのだ。既に其処に開発済みのものがあるから、それを借りてきて利用させてもらえば良いと言うのなら、もうこの国の未来などないのだ。科学や技術の世界では、二番なんて意味がない。銀メダルなどない世界なのだ。そう力説しても、お金のことと「現実の直近の問題」しか見ようとしない人は、自分の狭くレベルの低い了見の範囲から出て来はしない。210億円は確かに大きな金額だ。しかし我が国のこの分野の予算は、アメリカのそれの10分の1にも遠く及ばない。アメリカの専門家からは、そんなはした金でよくやるものだと、半ば感心され、それ以上に揶揄されてもいるのだそうだ。トヨタ自動車の今年度第一四半期の営業利益は2116億円だったと、つい先ごろ発表された。大企業とはいえ、たった民間企業一社の、しかもたった三ヶ月間の利益が、はやぶさプロジェクトの10回分の費用よりも多いのだ。政治家の大半は、選挙での当選、そしてその結果としての権力の行使というもので動機付けされている。一般に相手をやり込めることには優れているが、(失礼かもしれないが)想像力には欠けている。だから、知見のない分野に対しては結果が出てからしか評価できない。結果を出すための未知への挑戦には、理解も及ばないし、あえて評価もしようとしない。日本の宇宙予算は2010年度の概算要求で17億円だったのが、事業仕分けなどの篩い分けによって5千万円に、更には3千万円にまで削られてしまった。その頃は、はやぶさは宇宙で迷子になっていたのだ。そして6月になって、長い迷走から目覚めたはやぶさが還ってきた。菅さんは6月14日、「はやぶさ」のプロジェクトマネージャーにお祝いの電話をかけ、「約60億キロメートルもの飛行の後、地球へ帰還できたことは奇跡的であり、日本の技術水準の高さを世界に強くアピールした。関係者の方々に心からのお祝いと労いを申し上げたい。」と仰ったそうだ。そして翌15日の参議院本会議では、後継機「はやぶさ2」の開発を推進する考えを示した。蓮舫行政刷新担当相は同月15日、「偉業は国民全員が誇るべきものだ。世界に向かって大きな発信をした」と高く評価なさった。昨年の事業仕分けで、後継機開発など宇宙開発関連予算を削減としたことについては、「宇宙開発は、私は直接担当しておらず、今一度流れを確認している」と釈明し、また「国民の様々な声は次期予算編成に当然反映されるべきだ」と語ったのだそうだ。全て後付の話でしかない。政治家には、少なくともこと学問や芸術に関する限り(他の分野でも同じかもしれないが)、理念やビジョンを語っても役に立たない。「これを支援すると国民に人気が出るよ。票になるよ。」という、彼らに通じる言葉で話さなければならない。その点でも、ちゃんと還って来たという事実を以って、無言の、しかし大きな発言をしてくれたはやぶさは可愛い。それに、イトカワへの着陸の確認が取れなかったり、途中で行方不明になったりした中で、マスコミやメディアはどんどんはやぶさに対する関心を失い、報道しなくなっていった。そういう中でも、インターネットを経由した情報発信は、着実に人々の注意を喚起していった。はやぶさの健気ともいえる帰還は、マスコミや政治家のプパガンダに依らずとも、確かに人々の心を打ったのである。この8月15~ 19日には、東京丸の内のオアゾ1階「OO(おお)広場」には、はやぶさが地球に送り届けたカプセルが展示されるそうである。何となく鬱屈した世間の中で、一生懸命生まれ故郷に帰って来たはやぶさは、無闇に可愛い。ワールドカップで日本チームの活躍に熱狂し、はやぶさの帰還にも感動する気持ちがある以上、日本人もまだ捨てたものではないかもしれない。私は何とかして暑さもものかは、丸の内まで行ってみたいと思っている。