あの地震からもう10日も経ったのですねぇ。
以前の生活から比べると不便なことは多々ありますが、
多くの方がもっと過酷な状況下におかれていると思えば なんてこたぁーない。
私は今日も元気です☆
3月11日(金)14:56
社内のあちらこちらで携帯のアラーム(緊急地震速報)が一斉に鳴りました。
と同時に揺れ。どんどん強くなる。しかも長い。
即テレビをつけるも、揺れているうちに停電。外を見ると信号も消えていました。
電話は全くつながらなかったけど、メールの送受信は可能でした。
強く長い揺れがおさまった後、ワンセグ視聴。
見たことがない規模の津波に言葉を失う。
電気がつく気配がないので、明るいうちに全員退社することに。
帰宅途中「停電でご飯が作れないから、帰りにお弁当か何か買ってきて」と母からメール。
大型スーパーは軒並み閉店。コンビニはすごい人混み&商品がない!
近所の商店で残っていた水とお惣菜パンを購入して帰宅。この頃にはもう暗くなってました。
家に入ると蝋燭が灯り、テーブルの上には懐中電灯3つ(※)、水差し、グラスなどなど
明るいうちに母が準備してくれていたものが並んでいました。
とりあえず腹ごしらえ!で、薄暗い中で食事。
その後、テレビなどの落ちると危ないものを、台や棚から床に下ろしました。
我が家はガスは引いておらず、水は出ましたが
ほぼオール電化(日本語ヘンだけど。給湯と暖房には灯油も使うので。)なので
暖房は使えない、調理やお風呂どころか少しのお湯も沸かせない。何もできない。
全ては明日、明るくなってから。ということで、早めに寝ようとしたけど
緊張と興奮と余震で眠れず、母と少しお酒を飲みました。
この日は服を着てダウンを羽織り、布団を掛けてソファーに座ったまま、
ラジオもロウソクもつけっぱなしで寝ました。
(※)ラジオ付き、手回しで携帯を充電できるもの、大きな懐中電灯の3つ。それぞれとても役立ちました。
3月12日(土)
夜明けとともに起床。いつもは目覚ましが鳴ってもなかなか起きれないのに。
2階の被害を確認。
私の部屋と納戸は、棚の上の物が落ちたり、タンスが少し動いていたり、想定内の被害。
両親の部屋はタンスが倒れ、テレビが台から落ちていました。
タンスは引き出しに滑車とレールがついた 出し入れしやすいタイプの物なので、
揺れた拍子に引き出しが出て、その重みで倒れたものと思われます。
地震対策(突っ張り棒とか)はしていませんでした・・・。
損保の請求に必要とかで、壊れたものなどの写真も撮っておきました。
加入している保険にもよりますが、我が家は食器まで対象になるそうです。
少し片づけた後、ラジオ付きの懐中電灯を携えて買い物へ。
開いているスーパー、コンビニは長蛇の列。並んで入ってみても棚はガラガラ。
何件か回ってみたけど欲しいものはなかったので、野菜と果物を少し購入。
帰り道、灯油を売っているお店があったので、ポリタンクを取りに一旦家に戻り出直しました。
帰宅後、物置から反射式ストーブを出し、点火。あったかい~(涙)
ストーブとポリタンク、取っておいて良かった!
陽が落ちても停電したままなので、ストーブの上で豚汁を作りました。
「あったまるねー。美味しいねー。幸せー。」と繰り返しながらの食事。
ラジオでは、市内のあちらこちらで電気が復旧したとのニュースが流れていたので、
「うちもそろそろかねぇ?」と話しているうちに電気がつく。即テレビをつける。
ラジオを聞きながら想像していた状況よりも酷く恐ろしい映像に涙が出ました。
携帯を充電しながら あちこちに無事を知らせ、沿岸部の親戚の安否を確認するも、
被害の少ない我が家でこの状態なんだから、沿岸部と連絡が取れるわけがないのです。
あ。家電は電気が復旧してもしばらくつながらない状態でした。
この日もリビングで服&ダウンを着たまま寝ました。
3月13日(日)
昼過ぎに会社から明日からの出社要請の電話。言われなくても行こうと思ってたよ。
リビングの隣の客間で、母と布団を並べて眠りました。
3月14日(月)
営業しているスタンドがあったら給油しようと思って、いつもより早い時間に車で家を出ました。
スタンドはほとんど閉店。開いている所は既に長蛇の列!並んでいる時間はないのよ・・・。
途中、先輩から、会社近くのデパートでガス爆発があったと連絡。
付近一帯進入禁止で会社に入れず、近くの喫茶店に集合してミーティング。
昼前に進入禁止が解除になりやっと仕事。
3月15日(火)
ガソリンの残量が寂しくなってきたので、この日からバス通勤に切りかえ。
バスは臨時運行で、いつもの半分以下の本数。でもあるだけありがたい。
午後、また会社近くのビル(昨日とは別の)でガス漏れの疑いがあり、屋外へ全員退避。
結局何事も無く、20分くらいで仕事に戻りました。良かった・・・。
この日は歩いて帰ってみました。
途中、寄り道したり、偶然友達にあって立ち話をして、かかった時間は約1時間。
まっすぐ帰れば40分ってとこかな。
夜、いとこから、沿岸部の伯父伯母が無事との知らせがありました。
寒い中、仮設の電話に5時間並んで連絡してくれたそうです。
不自由はあるけど、元気そうとのことでひと安心。
この日は久しぶりにゆっくり眠れた気がします。
3月16日(水)
バスを降りて会社に向かって歩いていると、交通規制されていました。イヤな予感。
近くにいた警察官に「何かあったんですか?」と聞くと、
14日にガス爆発したデパートで再びガス漏れがあったとのこと。
会社には入れたので普通に仕事。
3月17日(木)・18日(金)
ガソリン不足の影響で、ゴミの回収がストップ。
バスは動いてくれていたので助かりました。(3連休中は運休でしたが)
16日までに取引先などの安否確認はだいたい済み、
急ぎの仕事は終え、新しい仕事は入ってこないので、急にヒマになりました。
3月19日(土)
父が帰宅。
父が住む地域はまだガスが復旧しておらず、食事は炊き出し@職場でなんとかなっていたけど、
むこうの住まいは給湯にガスを使用しているためお風呂に入れず、
風呂嫌いな父の口から「帰ったらまずお風呂に入りたい」と。
帰宅後即入浴→昼寝。かなり疲れていた様子。
沿岸部へのバスが運行開始されたので、必要なものがあれば持って行こうと親戚に連絡。
停電も解消したし、灯油も手に入ったし、水・食料も当面大丈夫そうだし、
バスがあるなら本当に困ったことになった時はこちらから行くから来なくていいよ。
と、断られてしまいました。
3月20日(日)
いい天気だったのでチャリで買い物へ。
父に持たせる乾麺や果物、カセットコンロのボンベなどを購入。
3月21日(月)
父、単身赴任先へ帰る。
ガソリン事情はあいかわらずなので、車はこちらに置いてバスで帰ることに。
キャスター付きの旅行バッグに荷物を詰められるだけ詰めて持たせました。
こちらにいる間にも職場から電話が何度もあり、戻ったらまたたいへんなんだろうな・・・。
歳も歳だし、体には十分気をつけて欲しいものです。
今日は父をバス乗り場まで送った以外は外出せず、ずーっと寝ていました。
具合が悪いわけじゃないんだけど、なんだか寝ても寝ても眠いんです。
この連休中、私は旅行の予定たっだのですが、当然キャンセル。
地震が、母が一人でいる時でなくて良かった。
友人・知人・親戚、みんな無事で良かった。
つらいニュースも多いけど、明るいことも考えて前向きにいこうと思います!