太田宿の宝物③
槍ヶ岳を開山した播隆上人と地理学者で日本ラインの命名者、志賀重昴の墓が偶然にも祐泉寺に隣同士に建立してある
両名とも「山」に関連しています。
播隆上人の詳細は省きますが、登拝(登山)信仰で笠ヶ岳再興、槍ヶ岳開山など、アルプスの山々に関係しています。最後は脇本陣で亡くなり、祐泉寺など4か所にお墓があります。
志賀重昴は岡崎市の名誉市民で、詳細は省きますが明治27年に刊行した「日本風景論」がベストセラーとなりました。内容は、日本の風景の美しさを書いた本で、得に山について詳しく書かれています。(日本山岳名誉会員)
大正時代に太田町に講義・講演の為2回訪れています。昭和2年に太田橋開通の為、船頭さんのリストラ対策及び大正10年の高山線開通の為、観光対策として志賀重昴に依頼されました。志賀先生のお墓は祐泉寺など3か所にあります。
両名とも山に関しての第一人者でお墓が隣接しているのは太田町だけでなく、市の宝物といえるでしょう。
播隆上人のお墓
志賀重昴のお墓