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カテゴリ:まちづくり・地域づくり
太田宿の宝物⑤
土木学会選奨土木遺産「太田橋」 中山道三大難所の太田の渡し場は、度重なる水害により上流に何度も場所を移し、太田橋が完成するまで太田橋のたもとにありました。この付近は木曽川の流れも緩やかで、川幅も狭く、橋建設場所として絶好の位置でした。建設主体は国(内務省)で、国道14号として延長約400m、幅員6.4mです。 その後国道21号、国道248号(県管理)を経て現在約4分の3は美濃加茂市道、4分の1は可児市道です。 平成23年に太田橋の内、可児市側のワーレントラス橋218mが岐阜県初の近代的道路鋼橋として土木遺産に登録されました。 因みに太田橋の完成は、大正15年2月ですが、大正天皇の容態が悪くなり、式典や開通式などが自粛され、太田橋開通式も延期されました。大正天皇は15年12月15日に崩御され、年賀状を出すことも禁止となりました。昭和元年は1週間で昭和2年が始まりました。太田橋の開通式は昭和2年に盛大に開催されました。 また、新太田橋が完成したことにより、太田橋は壊す(落橋)のが通常ですが、当時は日本ライン下りの乗船場であり、地元自治体からの要望もあって落橋にはなりませんでした。 太田橋 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年07月15日 12時01分18秒
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