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カテゴリ:まちづくり・地域づくり
太田宿の宝物⑯
『太田の渡し』 太田宿は、中山道三大難所の太田の渡しがある宿場町として繁栄しました。幕府は江戸防衛の為、東海道の大井川や安部川などの大河には橋を架けず肩車や連台での通行とし、勝手に徒歩で渡ることを禁じていました。増水すると水が引くのに時間が掛かり、大井川の島田宿では31日間も川止めとなった記録もあります。 太田宿の木曽川は、水深が深く徒歩では渡れないので、渡船でした。中山道には蕨宿の戸田川、本庄宿の神流川と太田宿の木曽川の3つの渡船場がありました。 太田の渡しの渡船料金は、1人6文、馬9文でした。(時代によりますが、1文は約10円~20円)因みに明治14年には1人1銭2厘、馬は2銭4厘でした。 太田の渡しの位置は時代とともに上流側へ移り、祐泉寺の下から最後は現在の太田橋付近になり、併せて太田宿も東側へ延びていきました。 因みに可児市側は太田の渡しとは言わず『今渡の渡し』と言います。 木曽川右岸(美濃加茂市側)太田の渡し場跡から今渡の渡し場を眺める お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年11月16日 09時40分01秒
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