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カテゴリ:ボランティア
今日はこの前からお知らせしていたように、奈良・春日大社の清掃ボランティアに行ってきました。
ということで、本日はいきなり「春日大社 清掃ボラ」レポート 尚、昨日のブログは 「漢方薬 その1」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ 朝6時起床。(会社へ行くより早い) 7時過ぎに家を出、大阪環状線経由で鶴橋から近鉄線に乗り換え、奈良まで約1時間。(家から最寄駅まで20分かかるので、1時間20分) やけに人が多いし、学生が多い と思ったら、今日は学校は休みじゃないんですね。 だから電車の本数も多く(休日ダイヤで検索してました)、予定より早く9時過ぎには着きました。 なので 先に本殿、若宮宮などを参拝。 9時半 受付で参加証を示し、ゴミ袋、名札などを受け取り、各グループに分かれます。 本日の参加者は7グループ、総勢100余名でした。 今日はお天気もよく、京都・舞鶴で30度を超す夏日だったそうです。 10時から各グループごとに分担地域に行き、清掃活動。 清掃活動中です 尚、春日大社とは 和銅3年(710年)、藤原不比等によって、常陸国鹿島から藤原氏氏神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)を春日神として祀ったのがはじまりです。 また、神護景雲2年(768年)に社殿の造営となり、香取神 [經津主命(ふつぬしのみこと)]・枚岡神 [天兒屋根命(あめのこやねのみこと)}を合祀し、少し遅れて比売神(ひめがみ)を合祀し、四柱を祀る官社となりました。 明治4年に春日神社に改称し、官幣大社に列しました。 昭和21年12月に、現在の春日大社に改称。 元々 春日の地に祀られていた地主神は、廻廊隅にある榎本社として祀られています。 地主神は、春日地方の旧勢力であり、和邇氏一族の小野氏が奉祭したと考えられていますが、この経緯に関して以下の伝承があります。 常陸から遷って来た春日明神が春日山の神に、山を三尺借りたいと申し入れました。 耳の不自由な春日山の神は詳細を聞かずに承知したが、春日明神は山全体の地下三尺であるとの理由を付け、結局 山全体を領するようになった といわれています。 尚、春日明神が鹿に乗ってきたという伝説があり、神の使いとして鹿が大事にされるようになったそうです。 また、春日山は平城京の水源にあたり、山中には雷神・水神の鳴雷社も祀られています。 春日大社には、摂社五社の他、本社内院に七社、中院に八社、外院に十七社があります。 さらに、若宮内院(垣内)に二社、若宮外院に七社、飛地境内に十五社の計五十六社の末社があり、摂末社合わせて六十一社が存在します。 春日大社 ニの鳥居 春日大社:境内 境内に含まれる主なものは、標高295mの御蓋山全域の山林部と、社頭から西方、飛火野(とぶひの)一帯の芝原、若宮おん祭の御旅所(おたびしょ)から一の鳥居に至る参道の地帯を含む平野部で、これら全域は昭和60年国指定の史跡です。 往古、春日興福寺の境内は145万坪余(約500ha)あったといわれますが、明治4年に社寺領は上地され、明治7年 あらためて春日神社境内を309,602坪(実測)と定められました。 昭和21年 国家の管理をはなれ、境内地の大半は国有地となったが、昭和26年 284,056坪の無償譲渡が決まり、更に有償譲渡及び旧来の社有地と併せて、現在総面積は約32万坪(約100ha)あります。 この32万坪を7グループ(総勢100余名)に分かれ、10時から約1時間半 清掃ボラを行いました。 意外とゴミは落ちていなく、ちょっと拍子抜けでしたが、それでも家庭用大型ゴミ袋に15個分集まりました。(写真 撮るの忘れました) 12時前に終了。 ゴミを集めて、集積所へ、その後 各斑の点呼。 それから宮司さんのお話が30分ほど。(まあ ここに書いた内容+α) 歴史好きの人にはいいけど、そうでない人には疲れた後の30分はチトつらいかも・・・ そして 12時半に解散です。 その後 ちょっと散策。 ついでに近鉄の駅まで徒歩で・・・ だから けっこう歩きました。 奈良もよく通過はしていますが、ゆっくり歩いたのはン10年ぶりですかね。 良い お散歩(歩きすぎたけど)になりました。 春日大社:本殿(国宝) 本殿は、近畿圏に数多く分布する春日造の古式例として今日国宝建造物に指定されています。 檜皮葺き、切妻造り、あでやかな朱塗りです。 御殿は四柱の神を祀るため四棟が並び、平安の頃より、二十年という式年で建て替えが行われてきましたが、江戸時代末期の文久三年の造替を最後に、破損に応じて修理を行いつつ今日に及んでいます。 本殿向って右(東)から、第一殿 武甕槌命(たけみかづちのみこと)、第二殿 経津主命(ふつぬしのみこと)、第三殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと)、第四殿 比売神(ひめがみ)の四柱が祀られています。 武甕槌命と経津主命は水神(自然神・観念神的)、天兒屋根命と比売神は、祭儀にかかわる司祭者を神格化した神(人格神的)として、神格はきわめて対照的です。 また、武甕槌命のシンボルは「杉」であり、芸能神の依代(よりしろ:神が依りつく物)である「松」が天児屋根命御子神を祀る若宮のシンボルであることから、樹神信仰が見られ、御蓋山(みかさやま)の木を伐ることは堅くタブーとされた。 そのため、春日山は承和8年(841年)より狩猟・伐木が禁止され、現在も春日原始林として入山が禁止されています。 平安朝に入ってからは、明らかに藤原氏の氏神信仰が中心となりました。 また 本殿までの参道の途中にある「神苑」は参拝者にやすらぎを与える神様の庭として、現在は一般に公開しています。 元は、万葉植物園として昭和7年(1932年)に開園されたものといわれており、藤が有名です。 また 万葉集に歌われた植物、約270種類が植えられています。それぞれの植物にはそれを詠んだ万葉歌の標柱も添えられています。 神苑の藤 <追記> 木曽に着いてます。(5/1 AM11:00) 室内温度 12度。 ◆行方不明の ケイ君 まだ見つかっておりません。 長くなりそうなので、お知らせはヘッダーに移動しました。 ●別ブログ4/29の新着は「お米をもっと食べよう」 前回は「老眼」 こちらも見てね 尚、迷惑書き込みがやたら多いため、現在 別ブログのコメント欄は承認後でないと投稿表示できません。 ご了承ください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年05月01日 12時28分35秒
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