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カテゴリ:古典
今日からシャッチョーはまた韓国行き 2日前から頼んでた「見積書」、まだ書いてません。 昨日もさんざん言ったのに・・・ 自分でも「明日な」とか言って延ばし延ばしで3日目。
で、今朝 「早よ書けよ」とは言ってませんが、催促して書いてもらいました。 だいたい本来なら見積りもシャッチョーの仕事なのよ。 私が取った仕事はたいてい私がやってるけど・・・ さて、沖縄に続いてやっと奄美大島も梅雨明け宣言されたようです。 この後、九州から順に梅雨明けになると思いますが、今年は関東、甲信越から入梅が先になる、おかしな現象もありました。 梅雨明けが待ちどおしい方も多くいるでしょう。 昨日から7月、1年の半分が過ぎました。 残り半分、有意義な過ごし方をしたいもの。 ところで、もうすぐ七夕 今年は晴れてくれるでしょうか? かなり以前に「をとめ」で、源氏物語の源氏の長男「夕霧」と、頭の中将(現内大臣)の娘「雲居の雁(くもいのかり)」の清純な恋物語を書きましたが、今日は乙女神社の天女伝説のお話。 尚、昨日のブログは 「道路は美味 その1」 ご覧になってない方はこちらもどうぞ 「乙女神社」 比沼麻奈爲神社のある京都府京丹後市峰山町(旧中郡峰山町)といえば、丹後風土記に記載された日本最古の羽衣伝説が有名ですが、地元峰山町には丹後風土記とは少し違った羽衣伝説が残っています。 ●天女伝説 昔、昔、比治(ひじ)の山の頂き近くに大きな美しい池があり、その池に八人の天女が舞い降りて水浴びをしていました。 それを見ていた三右衛門(さんねも)という里の狩人が、 一枚の羽衣を隠してしまいまったために、天女のひとりは天に帰れなくなっ てしまいました。 天女は三右衛門と一緒に暮らすことになり、三人の美しい女児をもうけました。 天女は農業、養蚕、機織り、酒造りが上手で、三右衛門の家はもとより比治の里はすっかり豊かになりましたが、天恋しさに耐えかねた天女は三右衛門の留守中に、「お父様は毎朝何処を拝んで出かけていくの?」と娘達に尋ねました。 娘達は家の大黒柱を指さしました。 大黒柱の穴に隠してあった羽衣を見つけた天女は、羽衣を身に着けると、「七日七日に会いましょう」と云い残して天に帰っていきました。 しかし その様子を伺っていた天の邪鬼(あまのじゃく)が「『七月七日に会いましょう』と言っていた」と三右衛門に伝えました。 一年に一度しか会えないと思いこんだ三右衛門は、天女が残していった夕顔(ゆうごう)の種を庭に蒔いて、天女が天に帰ったことを嘆き悲しんでいました。 するとどうでしょう。 夕顔は天に向かってぐんぐん伸び始めました。 この蔓を登っていけば天に行けるかも知れないと思った三右衛門は、夕顔の蔓を懸命に登っていき、ついに天上に辿り着きました。 天上で三右衛門は天女に会うことができました。 天上で天女と暮らしたい三右衛門は、天帝に天上界で暮らしたいと願い出ました。 天帝は天の川の架橋づくりを条件に出し、無事橋が架けられたら一緒に天上界で暮らすことを認めるとしました。 仕事を請け負った際に天帝と、橋が完成するまでは天女を思い出さないと約束していた三右衛門でしたが、天女恋しさのあまりついついその約束を破ってしまいます。 約束を破った途端 天の川は大洪水になってしまい、三右衛門は下界へ流されてしまいました。 天上で一緒に暮らす事が叶わなかった三右衛門と天女ですが、毎年七月七日の夜には天女がきらめく星となって、三右衛門と三人の娘に会いにやってくるそうです。 現在、京丹後市峰山町の磯砂(いさなご)山の麓には、天女の娘を祀ったとされる乙女神社があります。 尚、こちらの神社にお参りすると、美しい女の子が授かるそうです。 少子化の進む日本 お参りして美しい女の子を授けてもらいませんか? 尚、昨年の七夕にちなんだお話は「七夕伝説」、「天の川」があります。 お時間があれば、こちらもどうぞ。 業務多忙のため、ご訪問、レスが滞っております。 ご容赦 ●別ブログ6/29の新着は「高齢男性の病気 前立腺肥大」 前回は「足のむくみ」 こちらも見てね 尚、迷惑書き込みがやたら多いため、現在 別ブログのコメント欄は承認後でないと投稿表示できません。 ご了承ください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年07月02日 23時41分13秒
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