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カテゴリ:倫理
さてさて、お待たせいたしました。 先週はあれこれと忙しく、1週間遅れになってしまいましたが、
なので、いきなり本日のお題 「男女の脳の違い その5」 尚、昨日のお題は 「ねこまんま」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ さて、前回 「男女の脳の違い その4」で、「つまり 男性と女性とでは、個の保存と種の保存の捉え方や感じ方の仕組みに違いがあるということが言えます。 では、なぜそうなったのか?」終わりましたので、その続き。 大昔 食料の確保が生死を分ける時代が長かったわけですから、女性は当然自分を満腹にしてくれる(満腹中枢を刺激してくれる)優秀な男に好意を抱き、彼を受け入れてしまう(交尾中枢が刺激されてしまう)のでしょう。 一方、男は種の保存という目的からすると、種付けをして死んでしまってもいい性なので、飢餓的な状況の時ほど女性に接したい気持ちが高まるようになっていったのです。 カマキリの雄が交尾をした後に雌に食べられてしまうのは、自ら雌の栄養となり確実に子孫を残そうとするのと基本的には同じです。 脳にはそうした、種の保存を前提とした行動原理が刷り込まれているのではないかと考えられます。 男女の違いは身体的なことだけではなく、「脳の違い」からも生まれています。 しかも、それは気の遠くなるような人類の歴史が礎になっている、というのはとても興味深い話です。 狩猟時代からの名残りで、男はどうしても攻撃的だったり、納得しないと行動しない、一つのことに集中したら他のことができない、一カ所に留まると落ち着かず放浪したがる、遠隔視は得意でも近くのものには気がつきにくい、などの特性があります。 一方女性は、守られることで安定する性質を持っていて、にいる時が一番幸せと感じる、好奇心で気軽に行動を起こす、ながら作業が得意、手元のことにはよく気づくが、空間認識が苦手、など、男とは対照的な特質を持つ傾向があります。 そうした基本的な違いが「脳からきているのだ」と理解できれば、相手に腹を立てなくて済むことも多くなるでしょうし、相手のことを尊重したり、思いやったりする気持ちも生まれやすいのではないでしょうか。 ただ、今は家事に育児、仕事にと女性も行動的になり、従来からの特質が当てはまらない部分も多いのではないでしょうか? もちろんここで述べているような、それぞれの特質は一つの「傾向」であり、空間認識に優れたレーシングドライバーの女性もいれば、お笑いタレントのようにおしゃべりな男性もたくさんいます。 実際ここ100年くらいは、人類は食料にあまり困らない生活を送ることができていて、男女の役割分担の境目は極めて曖昧になってきています。 また、ここ数十年の間に多くの国で男女同権や女性の地位向上が叫ばれ、今は女性も外でばりばり働くし、社会や企業のトップになるようなことも増えてきました。 そのためか、今の社会ではどちらかと言うと「男女の能力に差はない」という部分が強調されることが多いように見受けられます。 ただ、脳医学的に見れば、男女の機能の違いは歴然として「ある」わけで、人類の歴史に培われた男女の特質の違いも、全体的な傾向としてあるのは確かなのです。 いくら男性的な女性であっても、女性としての本能は「ある」わけで、男性と同じということはありません。 反対に、男性もまた、しかりです。 このことをわきまえないと、大きな錯誤をすることになります。 お互いの脳の特性や行動パターンを知ってつきあった方が、互いにストレスが少なくなる ということですね。 そうなのです。 男も女もお互い「違う部分はあるのだ」と捉え、相手の特性や傾向をわかった上で、上手くコミュニケーションできる方向に持っていった方が、よりよい人間関係を築く上でベストなのではないでしょうか。 もちろんこれは男女の違いだけではなく、十人十色といわれる「人それぞれ」ですから、自分の殻に閉じこもった考えで、人を当てはめることも しかり です。 でも、そういう器の小さい人が多いんですよね。 例えば、男が左脳を使って何かに没頭している時は、放っておいた方が争いを起こさずに済みます。 女性が右脳を使って感情的に言葉を投げかけてきた時も、男性は論理的に言い返すのではなく、「わかったよ」と受け入れてあげればそれで済むのではないかと思います。 また、それぞれに得手・不得手があるのだから、「何でこんなこともできないの?」と相手を中傷せずに、得意な方が可能な範囲で受け持つようにした方が、賢明なのではないかと思います。 今は、いろいろ便利な道具もあることで、狩猟時代から受け継がれてきたそれぞれの能力を発揮する場が狭まってきているようにも思います。 こういう時代が長く続くと、やがて人間の脳にも変化が生まれてくる可能性はあります。 確かに、今はにナビゲーションシステムが付いていれば、男が空間認識能力を発揮する必要がないなど、性差を補うような便利な道具がたくさんあって、これまでの能力を発揮しにくい状況にあるのは確かです。 人間は必要のない能力は次第に退化するわけですから、今のような状態がさらに進化し、この先何百年、何千年と続けば、脳もまた別の形に変化し、男女の脳の差がだんだん無くなるような方向に向かうこともあるかもしれません。 ただし 今 現在ということで言えば、男女の脳には明らかに先天的な違いによる性差があり、そこから発する能力や意識の違いは、環境や意識が大きく変化していく中でも、容易には逆らえない部分もあるのではないか と言われています。 ならば、それをお互いに受け入れる方向で進んだ方が得策でしょう。 男と女がお互いにそういう意識を持つことができれば、いい人間関係、いい家族、いい社会をつくる上で、大きなプラスになるのではないでしょうか。 人間の「脳」は、今最も熱い視線を集めている研究分野の一つ。 かなりわかってきている部分もあり、一方で未知の部分もたくさんあるのですが、「脳を知る」ことは、「人間を知る」ことでもあり、とても興味深いことではないかと思います。 それを知るのが「脳医学」であり「心理学」でもあるのです。 自分たちが持っている「能力」や「意識」の後ろ側には、長い人類の歴史があり、普段の何げない行動も、気の遠くなるような過去につながっているのだと思うと、不思議な気がします。 しかし、私たちの脳にはそれがしっかりと刻まれていて、家庭や社会で起こっているいろいろなことも、そうした「脳の特性」と大いにつながっているのです。 私たちの周りでよくある「男女の意識や見解の違い」も、脳が生み出している現象の一つ。 お互い理解できないこと、腹が立つことなども多いわけですが、それらがもともと「男女の脳の違い」から来ているのだと思えば、相手を受け入れやすくなるし、お互いに気持ちよく過ごすための対策もたてやすくなるのではないでしょうか。 -- 完 -- どうも最近は自分勝手な屁理屈を「論理」とすりかえ、個人的感情を絶対とするような、自己中的な人間が増えてきているように思えてなりません。 そういうのに限って、改革といいながら自己本位思考の枠組みから一歩も外に出ていないようです。 ホントに困ったものです。 自己反省なくして他者を攻撃するのは、とても「論理」的とは言わないのです。 それは感情的にしか他ならない。 そんなヒマがあれば、もっと己を知るべきですね。 いくら「天つば」に逢っても懲りない人もいるようです。 どこぞのアホ常務のように、おおごとにならないと気づかないのでしょうかね? なぜか大学からアクセスの多い別ブログ ●別ブログ2/25の新着は「謎の企業 B-CAS社」 前回は 「クレーマー保護者」 前々回は「アナログ放送終了」 こちらも見てね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年03月07日 17時33分11秒
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