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カテゴリ:倫理
何か失敗や争いごとがあると、普通 自分のミスやいけないことはなかったのか と反省をしますが、高慢な人間は「自分は正しい。 間違ってるのは相手だ!」として、反省をしません。 すべて人のせいにする。
そう 「我こそはお山の大将、正義の味方『月光仮面』(ふるっ!) 悪いヤツをやっつけるのだ!」と・・・ はいはい 「アンタが一番! アンタが大将!」、「全知全能の神様、アナタの言うことはみんな正しい」 こういう人には「琴線」や「バテた!」で書いたような、イヤミや誉め殺しも通用しません。 なにせ、自分はまったく悪くない と思っているのですから、反省どころか、反発するだけです。 まあ 苦労知らずの お嬢様、お坊ちゃま育ちで、ワガママいっぱいに育ったんでしょうな。 今の政治屋さん(あえて「屋」)もこの部類に入りそうです。 ということで、本日のお題 「正義の味方」 昨日のお題は 「良い子、悪い子、普通の子」 ご覧になってない方はこちらもどうぞ さて、上記で書いたような「お山の大将」的なお人ですが、しかし これ 意外と支持者がいるんですな。 政治屋さんを見てもわかるように、たいていは多弁、饒舌です。(しかし 雄弁ではありません) これに弁筆(こんな言葉はないと思いますが、文章のうまいこと)と ある程度の教養があれば、百人力。 誰でもコロッと騙されます。 政治屋さんがそのいい例。 選挙前はそれこそ「正義の味方」ぶります。 ところで、ある人を知っていますが(私のお仲間もよくご存知です)、最近のある事件で、それこそ「正義の味方」ぶりを発揮しました。 まあ 前からその兆候はあったのですけどね。 その事件で一躍有名に・・・ おかげで事情を知らない人からの人気を集め、仕事もあちこちから舞い込み、悠々の生活。 支持者も増え、うまく時流に乗りました。 実際 当人の人間性を知っている人は知っていますが、巧みな弁舌、弁筆のせいで、なかなか見抜ける人は少なく、今まででもけっこう支持者が多いのですね。 今回も知識人からはボロクソに批判され、反論しましたがボロボロ。 もっとも なかなか一般の方には見抜けません。 が、例の弁舌、弁筆のせいで、自分の言動、行動は「正義の味方」のようにすり替えてしまうんですな。 確かに 読んでいると、まあ うまいこと、うまいこと。 実情を知らない人間はコロッと騙されます。 それに 元々の仲間内では価値観が似ているため、一層の支持を受けました。 ただ 苦労知らずのお坊ちゃま育ちではないため、教養面でちょっと難があるので、ボロが出ますが、これも普通の人には見つけにくいでしょう。 特に一旦「正義の味方」で信用してしまうと・・・ そして、都合が悪くなると「ああいう誹謗・中傷は相手にしない」とお逃げになるのです。 また その逃げ方がうまい。 いかにも自分が正当で相手に非があるように、おっしゃる。(これ 政治屋さんもよく使う手) ご自分もかなりの誹謗・中傷をしておられるのですが・・・ 自分のは正当なんでしょうね。 当人の感覚では。 と言っても、その人間を全面否定するわけではありません。 いい面もあるんだし、事実 助かってる人もいますから。 ひとつの面だけでその人間性を決めつけてはいけません。 こういう人は、よく「思いやり」とか「相手の立場にたって」とかを口にします。 しかし よくよく行動を見れば、かなり自分本位、ワガママ勝手。 他人のためには動いてません。 自分のためのみ。 「人のために動けない(動かない)、自分だけが良ければいい」と思ってる人に人に対する「思いやり」なんてできません。 ましてや「相手の立場にたって」などは論外。 平気で人を傷つけてます。 ただ これは価値観の違いがあるので、いちがいにどうこう とは言えませんが・・・ 例えば、A、B、C 3人の人間がいた としましょう。 AはXという事柄に関しては非常に価値を重く考えています。 しかし Yという事柄にはそう重きを置いていません。 そしてZに関しては、まったくどうでもいいと思ってます。 同じように、BはYが一番、Zが普通、Xはどうでもいい。 CはZが一番、Xが普通、Yはどうでもいい。としましょう。 すると AはCに対して、悪気はないのですが、平気で傷つけることを言ってしまう可能性があるのです。 なにしろCの一番大事なZという事柄に関してどうでもいい と思ってるのですから・・・ 同じように、BはAに対して、CはBに対して同様のことが言えます。 つまり その人の価値観は多種多様ですから、自分の価値観をまるまま人にあてはめてはいけないのです。 私を含め、あなたも知らないうちに人を傷つけていることだってあるのです。 多いか少ないか、だけで・・・ 己が礼儀を知らないのに「人を礼儀知らず」呼ばわりするヤツなんてもっての他。 特に なんとか論とか、なんとか学とかを振り回すやからは要注意! 卓上論と実際はけっこう違うのですから・・・ 「専門用語の羅列」で書いたように、こんなのは自己顕示にほかありません。 ちなみに、「世間とは何か」(阿部謹也)の序章に、 世間という言葉は誰もが使っているが、何かをきちんと答えられる人はいない。 とある。 ということは、「世間知らず」も、言うことがおかしいのであるが、それに反論することもおかしいのである。 つまり 定義があやふやなものに対しては反論の根拠すらない。 これこそ「自分がすべて」の現れであろう。 ま こういう人間は痛い目にあわないとわからないのでしょう。 不本意ですが、例の常務さんと同じ方法を取らねばならない、というのは情けないですね。 実際 上記の方はそうされてます。 「争い その1」で書いたように、人はひとりひとり「違う」ということが、本当の意味でわかっていないから、自分が傷ついたときに「悪意でやられた」という感情をいだくのですね。 そして 反論されればやり返す。 その繰り返しになります。 ところで、「争い その2」はまた書きますね。 今は忙しいので、バカにかまってるヒマがないし・・・ あ 人にバカって言っちゃいけないんだっけ! これは しっつれいしました~ ホントにこういうワガママなのは困り者です。 しかし 今の世の中 こういう人が多いのも事実。 実際 事件を起こしたりしても、「あの人が」という場面が多く見られます。 あ ワタクシ 常に反省はしておりますよ。 ちょびっとは・・・(ちょびっと かい) 少なくとも「悪いのはすべて相手。 自分は正しい」なんて暴挙はいたしません。 協調性のない、器の小さな人間の増えてる世の中。 「義務教育で受験勉強に重きを置き、道徳など、倫理の時間を少なくしたからだ!」という人もいますが、あながちそれも間違いではないと思います。 ま 何にしろ「正義の味方」ぶる 多弁、饒舌な人の話は話半分に聞いておくほうが無難です。 まるまま信用すると、エライ目にあいます。 そして 自分の旗色が悪くなると「あんなのは関わらないに限る」とか言って逃げ出すんですな。 そのくせ、気になるからコソコソと様子伺いする。 だいたい後ろ暗いことがなければコソコソしませんよねぇ~ 実際 政治屋さんも、上記の人も、信用してエライ目にあった人も多いそうです。 仲間うちでも知っている人は知ってる(複数)んですけどね。 まあ 今後の付き合いもあるし・・・ 果たして、とんでもない自己弁護をしているのは誰であろうか? ベン、ベン、ベン~~~ あ 旅田さん パクリました 気が向いたら続く・・・ なぜか大学からアクセスの多い別ブログ ●別ブログ2/25の新着は「謎の企業 B-CAS社」 前回は 「クレーマー保護者」 前々回は「アナログ放送終了」 こちらも見てね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年03月12日 18時46分56秒
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