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カテゴリ:倫理
今日は朝からです。 しかも 先ほどまでは風も強く、横なぐりに降ってました。 今は幾分穏やかにはなりましたが・・・
おかげで暖かく、ストーブも点けっぱなしでなくともいい気温です。 でも 点けないと寒いですが・・・ 今日はスキー場もは来ないでしょうね。 さて、の開花宣言もあちこちで聞かれるようになりました。 今年も暖冬のせいで、どことも例年より早いところが多いようです。 暖かいのはいいのですが、やはり地球温暖化で生態系が変わってしまうのは、将来に不安を覚えます。 温暖化、なんとか食い止めたいものです。 ところで以前 「プレカリアート」で、プロレタリア文学の代表作として知られる小林多喜二の「蟹工船」がすごく売れていることをとりあげました。 この影響で共産党の入党希望が増えた とかとも言われています。 この他にも、ロシア革命前後の本、戯曲などが隠れた人気を博しているそうです。 1861年の農奴解放や19世紀末以降の産業革命により工業労働者が増加し、社会主義勢力の増加した時代背景の影響があるか と思います。 もっとも 社会主義は本体のロシアをはじめ、あちこちで体制は崩壊していますから、社会主義崇拝は現代では「絵に描いた餅」ではありますが・・・ あ 私もアカ系ではありませんので、念のため。 しかし、人々が格差の拡大する現代の資本主義社会に不満を持っていることは、この現象も見ても明らかです。 ただ、社会主義に格差は無いか というのは愚問で、どんな社会にも格差は存在します。 かえって社会主義の場合は固定格差が存在し、資本主義社会より醜い場合があります。 まあ あまり難しいことを書いても「ふん!勝手にやっとれ!」と思われますので、本題に戻り、ロシア革命前後の本、戯曲などが隠れた人気 というので、みなさんは 戯曲「桜の園」(チェーホフ:作)をご存知でしょうか? ということで、本日のお題は 「桜の園」 これまた固い話題ですが・・・ 尚、昨日のお題は 「コミュニケーション」 ご覧になってない方はこちらもどうぞ 19世紀後半のロシアでは、旧来の秩序が崩壊しつつあった。 さまざまな政治制度は現実の発展と調和しなくなり、大土地所有者の貴族社会はしだいに都市中産階級(ブルジョアジー)と新興資本家階級の支配下に入りつつあった。 トルストイ、ドストエフスキーなどははその時代の弱体化した社会構造を書いた。 その中でもチェーホフは、本質的な英雄も大悪漢の存在しない世界をはじめて書いた作家として知られています。 チェーホフは「帝政ロシアの最も反動的な時代に専制政治に対する反抗をヒューマニズムの立場から作品化した」と言われています。 短編小説もかなりの数を書いており、「黒衣の僧」、「文学教師」、「中二階のある家」など、数え上げればキリがないほど。 これらの作品のほとんどには、人間の孤独と、人間を理解しようという欲求、反対に理解のなさ、などが絶えず書かれており、ロシアの世紀末の雰囲気を驚くほど的確に反映しています。 しかし、これは現代にも通ずるところがあり、人々の他者への関心の無さ、格差の二極分化などは充分に現代に置き換えられます。 ただ、時代背景の根幹とするものは違い、そのままあてはめるわけにはいかないですが・・・ さて、戯曲「桜の園」のあらすじですが、落ちぶれていく貴族が「桜の園」と呼ばれている美しい土地を借金の担保に競売にかけられ、出て行かざるを得なくなるというお話です。 しかも、競売で落札したのが、かつての農奴の息子である商人だったというところが、皮肉。 そして、この戯曲の中の登場人物のせりふ進行が一風変わっています。 各人がそれぞれ自分のことのみを考え、他者をまったく考えみない。 いわゆる「自己チュー」です。 これなどは今の世の中にそっくりです。 もっとも 落ちぶれていく貴族 というものは現代にはありませんが、過去の栄光を追っている、もしくは過去から受け継がれて築いた今の生活を、自分が築いた と思ってる自己本位な人間は数多くいます。 それが失われるとき、人間はこんなふうになるのでしょう。 平穏無事な生活を送っているときは、「愛があれば」、「努力さえすれば」と言っていても、現実には愛や努力だけではどうしようもないときがあります。 もちろん、愛や努力は必要なものです。 これを失くしたら、人間として失格かもしれません。 夢を崩すような言い方で申し訳ないですが、最近のブルーシート族の中には、以前はかなりの地位の人もいます。 むろん そこに至るには本人の責任ではありますが、それを一辺倒に非難することはできない事情もあると思います。 そういう「上から目線」の言い方は決してしてはならないと思います。 それこそ思いやりのない言い方で、「自己本位」としかとれません。 よく「利己主義」というと経済的なものを言われますが、こういう精神的なものも「利己主義」の範疇にはいります。 むろん、その背景には経済的なものは大きなウエイトを占めますが、経済的に優位だから幸せとは言えません。 反対に、経済的に貧困であっても、今の自分を幸せと思ってる人も多いはずです。 よく言われることに、 「食事が きちんと食べれて、雨露のしのげる所に住めて、明日があること」が幸せ。という謙虚な人もいます。 これらは、一見 ごく当たり前のことですが、その当たり前を感謝する心が大事なのですね。 また、いくら経済的に裕福でも幸せと思っていない人もいます。 経済的に若干の余裕もあり、家庭も穏やかだから、貧困な人間からうとまれている、なんて考えは「上から目線」、「思い上がり」もいいとこ。 そりゃあ お金は無いよりあるほうがいいですし、うらやましさはあるでしょう。 しかし、それで恨むとか、ひがむとかは別問題です。 もっとも そういう人間がいないとは言えません。 変にいわれのない恨みを持つ人もいますから・・・ いつも言いますが、価値観は千差万別、十人十色なのです。 自分の価値観を他人に押し付けてはいけません。 私だって正しいことばかり言ってるわけじゃない。 タマには間違ったことも言います。 最近では、しゃれさんが、古くはKENT HEATさんが鋭い指摘をしてくれました。 お2人とも私よりかなり年下です。 それを「何だ、この若造が!」と切り捨てることもできます。 この歳になれば、屁理屈で誤魔化す手立ては知ってます。 が、「なるほど、そうだね」と受け止めることもできます。 あと、「悪い、悪い」と言えれば上出来ですが・・・ ヘンに烏合して、なぁなぁのフォローをしてもらうより、よほど有難いです。 もっとも、フォローも有難いことは有難いですが、なぁなぁの形だけのは・・・ 大学からアクセスの多い別ブログ まったく更新してませんが・・・ ●別ブログ2/25の新着は「謎の企業 B-CAS社」 前回は 「クレーマー保護者」 前々回は「アナログ放送終了」 こちらも見てね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年03月22日 23時11分42秒
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