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カテゴリ:歴史
ここしばらく、いいお天気が続いています。 一昨日などは25度を超す気温。 春を通り越して、初夏の気候です。 さぞかしも驚いていることでしょう。
ホントに季節感が狂ってますね。 ま 世の中もかなり狂っているみたいですが・・・ 以前 「理系は不景気でも有利?」、「理系社長と文系社長」でも書きましたが、最近 学生の理系離れがすすんでいます。 そこで、理系学生を育てるため、理数科に特化した高校が出来ました。 ------------------------------------------------------------ 科学者を目指す“金の卵”を育てるため、ノーベル賞受賞者ら一流科学者が講義や実験指導などで協力する理数科に特化した高校、横浜市立横浜サイエンスフロンティア高校(横浜市鶴見区、佐藤春夫校長)が5日、開校した。 この日の記念式典には、スーパーアドバイザーとして特別講義を行うノーベル物理学賞受賞の小柴昌俊・東大特別栄誉教授が出席。 小柴さんは「わたしのやっている基礎科学は社会の役に立つ分野ではないが、喜びもやりがいもある」とユーモアを交えて激励した。 神奈川県内の新高校生約6万7000人から、県内公立高トップとなる前期選抜倍率5.21倍という難関を突破した237人(女子68人)が第1期生として入学した。 同校の特徴は、実験を中心とした理科教育。 「サイエンスリテラシー」と名付けられた1・2年必修のカリキュラムは、生命科学や環境、ナノテク・材料、情報通信の4分野で実験実習した後、興味に応じた研究テーマに取り組む。 1年生では、3日間英語漬けとなる授業も必須だ。 実験室にはDNA解析機など先端機器がそろい、企業や大学の研究者も指導にあたる。(2009年4月6日 産経新聞) ------------------------------------------------------------ 「モノ作り」、「モノ作り Part2」でも書いたように、日本は技術で生き残るしかない。 となれば、理系人間や職人の確保はぜひとも必要。 そのためにも、こういう試みはいいことだと思います。 今は頭でっかちの文系が多すぎます。 もちろん、情緒や人間性などをを身に着ける文系も必要なのですけどね。(人間性が身につくとは限りませんが・・・) 卓上論だけでは生き残れません。 やはり実践できる人が多くいないと・・・ それに、理は文を兼ねることも可能ですが、反対はムリみたいですし・・・ 巨椋(おほくら)の 入江響(どよ)むなり 射目人の 伏見が田居に 雁渡るらし 作:不詳 万葉集 より <雁の鳴き声が池の水面に響き、猟師(射目人)が巨椋の入り江に獲物を狙ってうずくまる> いきなり、すんましぇ~ん 思いっきり文系です。 ということで、本日のお題は 「巨椋(おぐら)池」 尚、昨日のお題は 「地方道路交通法?」 ご覧になってない方はこちらもどうぞ JR京都駅から南約10キロの久御山(くみやま)町。 からで20~30分ほど走らせると、久御山町に着く。 近くを桂、宇治、木津の川が蛇行する。 しかし、今は歌に詠まれた、ざわざわと鳴り響く池の入り江は今、どこにもない。 宇治川が京都盆地に流れ込むところは、京都盆地の中でも最も低いところに位置しており、琵琶湖から流れ出る唯一の河川である宇治川は、京都盆地へ流入する平等院付近から、京都盆地の西端にあった木津川、桂川との合流点の上流側にかけて広大な遊水池を形成していた。 かつては何本もの川が、巨椋(おぐら)池に注ぎ込み、流れ出していた。 池のハスを記した古文書も多くある。 平安京と平城京の間に位置しており、古代、中世を通じて、水上交通の中継地として大きな役割を果たした。 約1300年前の万葉の時代、奈良の都から北へ延びる山背(やましろ)古道が近くを通り、人や物が行き交った。 入り江から望む池の雄大な景色が、この地を行き来した人の胸を打ったのかもしれない。 時代のうねりの中で、池は姿を変える。 豊臣秀吉は、宇治川の北側に築いた伏見城を洪水から守り、大坂との水運を確保するため、「太閤(たいこう)堤」を整備しました。。 豊臣秀吉が伏見城築城の際、宇治川周辺に築いた大堤防「太閤堤」の総延長は12キロ。 諸大名に命じて、1594年に築造を始めたとされ、宇治川の流れを付け替え、北へ迂回させるために整備したという。 護岸跡部分は幅5.6メートルで、高低差が2.2メートル。 積み上げた石が流されないよう松の杭で固定し、斜面の上部にはすき間なく石を張り付けていた。 そして、池は宇治川と分離された。 そのため、漁は盛んになったが、しかし 流れる先を失った池はしばしばあふれ、住民たちを襲った。 江戸時代だけで池の氾濫による水害は少なくとも70回あったという。 水害を防ぎ、米を増産するため、太平洋戦争直前の1933年~41年に干拓が行われ、周囲16キロ、水域面積約800ヘクタールの池は消え、農地に変わった。 現在は京都や大阪のベッドタウン。 巨椋池の姿を知る人は、もう少なくなってしまった。 それでも時折、かつての名残に出会うことがある。 歌に詠まれた雁が何年かに一度は姿を見せ、夏が近づく頃、地中に眠っていたハスの種子が芽吹き、青々とした稲の合間でひょっこりとピンクの花が開く。 歌に刻み込まれた情景がよみがえってくる。 新コンテンツ 本日の短歌 あれこれと 上から目線 それじゃあ 何も意味無し 愚か者かな 作:嫌余ベタ付き きしょいもん 外回り途中の「うつぼ公園の桜」 週末だから、お花見のシートがいっぱい敷いてある。 大学からアクセスの多い別ブログ まったく更新してませんが・・・ ●別ブログ2/25の新着は「謎の企業 B-CAS社」 前回は 「クレーマー保護者」 前々回は「アナログ放送終了」 こちらも見てね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年04月11日 15時29分22秒
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