|
カテゴリ:歴史
今日のお出かけは「神足(こうたり)」へ、
あ 神足と言っても大阪・京都近辺の方でもおわかりじゃないでしょう。 現在はJR「長岡京」駅となっています。 1995年(平成7年)9月1日、長岡京駅に改称。 尚、駅のある場所は京都府長岡京市神足二丁目。 あの有名なサントリーの山崎工場(京都府乙訓郡大山崎町)のあるところからひとつ京都寄りの駅です。 また 名神高速の天王山もすぐそばです。 そう 明智光秀と豊臣秀吉の天下分け目の戦いがあった、天王山です。 この故事から雌雄を決することや勝負の分かれ目のことを「天王山を迎える」と言います。 山崎の地は名水で知られており、また 山崎駅前の妙喜庵には千利休の現存する二例の茶室作例の一つである茶室待庵(国宝)があります。 ということで、おからトコトコとバイクで行ってきました。 まあ 例の如く、いい話は聞けませんでしたけどね。 本来なら今日は前回に書いた「雇用助成金」のための休業日なんです。 が、面会約束を取り付けたときに、「金曜日の午後なら少しの時間はとれるよ」と言う、お客さまの言葉に「じゃ 金曜日で」と言ってしまった。 後から休業日に気がつきましたが・・・ 普段だと「実はその日は休業日なんです」と言って、別の日に振り替えてもらいますが、この時期、ヘタに言えば没になる可能性も高いので、そのままにしました。 むろん休日勤務とはなりません。 私の勝手。 ま 家からバイクなら40分ほどで行けますから、そう遠くもないし・・・ ということで、本日のお題 「長岡京」 また日本史ですが・・・ 尚、昨日のお題は 「アイスの賞味期限」 ご覧になってない方はこちらもどうぞ 平安京を「鳴くよウグイス(794年)」と覚えた記憶のある方も多いはず。 平安京より遡ること10年、長岡京は桓武天皇の命により、平城京から北へ40kmの長岡の地に遷都されました。 桓武天皇(皇太子時代名 山部親王)が即位したのが781年。 奈良の強い仏教勢力から逃れるように長岡京に遷都したのが784年。 しかし、僅か10年の都でした。 その後、平安京に再遷都しています。 長岡京の近くには桂川や宇治川など、3本の大きな川が淀川となる合流点があり、船で効率よく物資を運ぶことができたので、陸路を使わざるを得なかった平城京の問題を解消できました。 この地形は、この前書いた「巨椋(おぐら)池」と似ています。 地理的にも久御山町からは、そう遠くありません。 で15分くらいです。 今日もそこを通って行きました。 長岡京の建設にあたっては、丘陵を削り、谷や低地を埋め立て、平坦化した敷地に平城京をモデルに設計されたと考えられています。 さて、そんな地の利のいいところなのに、なぜ10年足らずで建設途上の長岡京を廃し、平安京に移らざるを得なかったのか。 785年(延暦4年)9月、建設の中心人物 藤原種継が暗殺され、この事件の波紋で、怪奇な事件が続発したことによります。 首謀者の中には、平城京の仏教勢力である東大寺に関わる役人も複数おり、また 桓武天皇の皇太弟早良親王もこの反逆に組していたことが明らかになり、良親王が配流され、その後 恨みを持ったまま死去。 その後、日照りによる飢饉、疫病の大流行や皇后や皇太子の発病があり、占いの結果 早良親王の怨霊であることがわかりました。 恐れをなした桓武天皇は祟道(すどう)神社に早良親王を祀り、その祟りを鎮めようとしますが、なお収まらず、その2ヵ月後に大雨が襲い、都の中を流れる川が氾濫し、大きな被害が出ました。 災難、身内の不幸、祟りが起こる原因を天皇の徳のない証拠、天子の資格がない などと民衆に判断されるのを桓武天皇は恐れ、ついには長岡京の建設をあきらめ、わずか10年後の794年(延暦13年)に平安京へ再遷都しました。 わずか10年とはいえ、造営工事も相当進んでいた時だけに、事実上の廃都は異常事態とも言えます。 尚、これまでは建設半ばで放置された長岡京と想像されていたのですが、今までにかなり発掘調査が進み、想像以上に都として完成されていたのではないか と言われています。 冒頭の如く、水の利を生かした工夫も多く、住む人々も豊かな水の恩恵を受けていたようです。 平城京で問題となっていた下水にも対策が立てられ、道路脇の流れる水をの中に引き込み、排泄物を流すようになっていました。 長岡京の北西で湧いた豊かな水は、緩やかな斜面に作られた都の中を自然に南東へ流れ、これによって汚物は川へ押し流され、都は清潔さを保っていた といわれます。 ほぼ完成間近い「長岡京」から「平安京」への再遷都は今なお謎が多く残っています。 大学からアクセスの多い別ブログ やっと更新しました。 ●別ブログ4/13の新着は「アトランティス伝説」 前回は「謎の企業 B-CAS社」 こちらも見てね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年04月17日 22時54分02秒
|
|