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カテゴリ:ポエム
四十九日が終わって、やっと落ち着いた。 と同時に大きな悲しみが襲ってきた。
今までは店の仕事もあったし、法要など あれこれあったから気が張っていたが、落ち着いてみると、隆の中には百合の存在が大きかったことが改めてわかった。 「はもう出来なくなったけど、これから私の分もがんばってね」と 仏壇の百合の写真が言っているようだった。 隆は涙ながらに、 「わかったよ。 子供たちももう高校生だし、長女はこの店を継いでくれるらしい。 もうちょっとがんばるよ」と つぶやいた。 前回のお話はこちら→「母の日 Prat2 」 尚、昨日のお題は 「風車(ふうしゃ) 」 ご覧になってない方はこちらもどうぞ あれから18年。 思えば運命的な出会いだった隆と百合はその後、結婚した。 積極的な百合に隆がひきずられた格好だが、まあ家庭内は"かかあ殿下"のほうがうまくいく場合が多い。 ひと足先にお互いの親に接して、どちらも好印象を得たのだから、彼らの結婚には両家とも異存のあるはずはない。 隆の母親は「なんとありがたいことを・・・」とすら言ったほどだ。 残念なのは仕事が忙しく結婚式を挙げなかったことだ。 1年後 長女"カンナ"が生まれ、2年後 長男"大樹"が生まれた。 今は長女が高校3年生、長男も1年生である。 百合が体調不良を訴えだしたのはここ2・3年。 はじめは持病の胃腸障害と思っていたのだが、半年前 あまりに治らないので、無理矢理検査入院をさせた。 その結果 ガンが見つかったのだ。 しかも もうかなり進行しており、手遅れとのことだった。 今まで忙しいせいで、ついついへ行かないでいたのが仇となってしまった。 診断では余命数ヶ月、よくもって1年 ということだった。 それを聞いたとき、隆は目の前が真っ暗になった。 "なぜ今まで異変に気がつかなかったのだろう"と自分を責めた。 もう少し早く入院させていたら・・・と 自責の念が起こって仕方ない。 入院後も序々に弱ってくる百合を見るのは忍びなかった。 彼女には言わなかったが、数ヶ月後には自ずから余命少ないのを感じていたようだった。 しかし 気丈な百合は子供たちの前では決して弱音を吐かなかった。 「あなたたちもお父さんを助けてあげて、仲良くやってね」と、自分のことを棚にあげて家の心配をする始末。 慰めに行って、慰められるほどだった。 できれば代わってやりたい。 自分は18年前 彼女に出会ってなかったら、ひょっとしたらこの世にいなかったかもしれないのだ。 それを百合のおかげで生き伸びらえた。 しかも 幸せなまで築けた。 彼にとっては百合はホントに天使のような存在だった。 あのとき 百合に出会わなかったら、また たまたま「母の日」のポスターを目にしてなかったら、今の自分は無い。 世の中 仕事にありつけず、自暴自得になる人も多い。 また の倒産などで、ある日突然失職することも多くある。 定職に就けている人は幸せと思わなければ・・・ 食事が出来、雨露のしのげるに住み、明日の希望がある。 そんな"普通の生活"が「当たり前」と思ってはいけないと思う。 「母の日」 それは隆の運命を変えた日でもある。 これからもこの日を大事にしたい。 当然 今 居る、両方の母親も・・・ --- 完 --- 先週の日曜日の画像ですが、家のバラも咲き始めました なぜか大学からアクセスの多い別ブログ ●別ブログ5/6の新着は「カーシェアリング」 前回は「アトランティス伝説」 こちらも見てね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月16日 21時50分34秒
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