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カテゴリ:グルメ
どこかのアホ国が核実験をし、おまけにをぶっ放しましたね。 孤立無援になっても、核カードをちらつかせ恫喝するんでしょう。 まるでたちの悪いヤクザと同じだ。
さて 5月も終わりに近ずき、もうすぐ梅雨、そして暑い夏がきます。 暑くなってくると食欲も落ちがちなもの。 ざる蕎麦やソーメンなど、冷たい麺類がおいしい季節になります。 ざる蕎麦やソーメンのツユにちょっと多目に"わさび"を入れて、ツーンとくる、あの感触が何ともいえません。 あ ワタクシ "練りからし"とか"わさび"は大好きなんです。 おでんにでも"練りからし"はベタベタ、刺身とかにも"わさび"べっちょり派です。 涙が出るほど辛いんですけどね。 "わさび"の食用の歴史はきわめて古く、奈良時代の「本草和名」にも記載されており、延喜式にも各地から貢納されていた記録があります。 では いつごろ、どこで"わさび"が作られ始めたのだろうか? ということで、本日のお題は 「山葵(わさび)」 尚、昨日のお題は 「ストレス」 五月病もこれ です ご覧になってない方はこちらもどうぞ 昔は粉わさびを白湯で溶いて作ったものです。 最近はチュ-ブ入りの"練りからし"、"わさび"を使っている人が多いと思います。 まあ 私もほとんどそうですが・・・ 粉わさぴは、本わさぴを粉末にしたものと思っている人も多いのではないでしょうか? 実は紛わさぴに使用されているのはワサビダイコンといって、わさぴとはまったく関係のない野菜なのです。 ワサビダイコンは育てやすく値段も安いとあって、ずっと紛わさぴにはワサビダイコンの粉末が使用きれてきたのです。(1kgあたりでは本わさび1万円に対しワサビダイコンは2千円程度) また 巷に出回っているチューブ入り生わさぴも、CMでは本わさびをそのまま使っているような表現となっていますが、実際は原料のほとんとが北海道産のワサビダイコン。 香りと色付けのほとんどが添加物によるものなので、味も香も本わさびとは全く別物です。 しかし 本わさびの入ったものもあり、原料に本わさびの量が50%以上の場合は「本わさび使用」、50%未満の場合は「本わさび入り」と表示されるものもあります。 ただ 本わさびの地下茎は保存に向いていないため、たいていはそれ以外の部分が使用される事が多いようです。 山腹に段々と連なる山葵(わさび)田を一面の緑が覆う。 所々に咲く白い花との対比が清冽(せいれつ)だ。 あふれる湧き水が株を潤し、田から田へ絶え間なく流れ落ちていく。 静岡、山梨の県境にそびえる仏谷山。 南西麓の静岡市葵区有東木(うとうぎ)地区はわさびの産地。 計70世帯のうち60世帯が栽培農家。 澄んだ沢を石で区切って砂を敷き詰めた田を代々守り、作付面積は4万平方メートルに及ぶ。 すがすがしい色合いと、粘りも併せ持つ有東木産。 かつて徳川家康をうならせ、国産香辛料として定着していく過程で、見逃せない役割を果たしたという。 日本原産の山葵は水生植物で、生育には流水が欠かせない。 水温の変化を嫌い、10~17度を保つ渓流のほとりや沢に自生する。 殺菌効果があり、暮らしとのかかわりも古い。 「委佐俾(わさび)三升」 飛鳥時代の庭園跡「飛鳥京跡苑池遺構」(奈良県明日香村)から出土した木簡に、山葵の記述がある。 前後の内容から処方せんとみられ、古代は薬草として珍重されたらしい。 それが中世になって、薬味に使われだした。 酢と混ぜてコイやカキに合わせたり、冷やし汁に入れたりしていたと、鎌倉・室町時代の料理書が伝える。 自生地は限られ、貴重品だったから、庶民の口には入りにくかっただろう。 やっと山葵作りが始まったのは慶長年間の1600年ごろ。「有東木の村人が山中で採り、集落の沢に植えたのが、栽培の発祥とみていい」と 静岡県立大の木苗直秀教授(食品衛生学)が言う。 仏谷山は、南アルプスから続く赤石山系にあり、北東側に富士山を望む。 水脈が豊かで、年中いつも、12度前後の軟水が湧く。 極めて難しいとされる栽培条件を満たす天恵の地だったのだ。 1607年 隠居して駿府城に移った家康は献上品の香味に感服し、「有東木に限り栽培を許す」と保証した。 集落外への搬出や売買は禁じられたが、刺し身や蕎麦との相性の良さが知られ、ひそかに江戸や大坂に運ばれて村人を潤わせたという。 極貧にあえぐ民を山葵で救おうと、苗を求める者もいた。 1744年に訪れた伊豆の山守、板垣勘四郎。 家康の命を盾に断られたが、帰郷に際し、庄屋から苗を忍ばせた弁当を渡された。 禁制破りは後に発覚したが、裁きは「民を思う心を天が感じ、弁当を山葵苗に変えたもうた」と とがめはなかった、と語り継がれる。 そうして伊豆へ、江戸へと栽培が徐々に広がり、明治以降 鉄道網の発達もあって各地に拡大していった。 「19世紀初めに生まれた江戸前寿司の普及が山葵の需要を高めた」と、木苗教授はみる。 今、品種改良によって畑で栽培できる種もあり、沢で育つ従来種は沢山葵と呼ばれる。 その国内収穫量は年3000トン。 産地は伊豆の天城山や長野県の安曇野が有名で、有東木は少々影が薄い。 栽培農家の5代目という白鳥正文さんは父の後を継いで30余年。 250年前から続く家業と懸命に向き合ってきた。 1982年夏の台風10号の土石流で1000平方メートルの田が流され、復旧作業に追われた。 また バブル崩壊で高級品の本山葵が売れず、収入が長く落ち込んだこともある。 難題を乗り越え、有東木の名の再興へと、動き出したのは10年前のこと。 手紙やで1万軒以上の飲食店に「本物を届ける」と働きかけ、直販を始め、応じてくれた取引先は全国で70軒余り。 評判は広がり、農家11戸で直販組織「有東木こだわり倶楽部」も設立した。 インターネット販売で、欧米でも人気を集めつつある。 「有東木産が認められてきた。 少し、山葵に恩返しできたかな」と 白鳥さんは取り組みを顧みて語る。 日本原産の山葵は1~2年で収穫され、沢山葵は最大で100グラムを超え、1本1000円前後の値がつく。 栽培法は、沢で幾層にも積んだ石の上に砂を厚く敷き、苗を植える「たたみ石式」が一般的。 すり下ろして使う根茎のほか、花や葉はお浸しや酢の物としても供される。 また 畑で育つ畑山葵も生産されているが、味や大きさは沢山葵に及ばず、"わさび漬け"などの加工品によく使われる。 わさぴの辛みの素となるシニグリンは、ミロシナーゼという酵素によって分解されてアリルカラシ油という辛み成分になります。 このシニグリンとミロシナーゼは同じわさぴの中でも別々の紬胞に入っているため、細かくおろして混ぜ合わせることが必要なのです。 古くからわさぴおろしに鮫の皮が用いられてきたのも、鮫の肌の表面の粒子が細かいことを利用したもの。 普通のおろし金しかない場合は、おろしてから包丁でたたくように刻むと辛みが引き出されます。 また わさびは醤油で溶くと辛さと香りが半減してしまいます。 刺し身を食べる時はぜひ、刺し身の上に直接わさびをのせて、下に醤油をつけて食べたほうが良い とのこと。 属は異なるが、山葵に似た植物は海外でもみられ、白く香りの弱い欧州原産の西洋山葵(ホース・ラディッシュ)は"練りわさび"の原料に用いられています。 なぜか大学からアクセスの多い別ブログ ●別ブログ5/17の新着は「豚インフルエンザに漢方?」 前回は「カーシェアリング」 こちらも見てね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月26日 22時29分15秒
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