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カテゴリ:教育
一昨日 「列島危機」でも書きましたが、また北朝鮮はミサイルの発射準備をしているようです。 国際連盟も脱退を視野に入れての暴挙。 もうこうなったら何をするかわかりませんね。
中国やロシアも一応 擁護はしているものの、扱いかねている様子。 世界中のほとんどの国からそっぽを向かれ、増々孤立化を歩んでいくようです。 国内の飢餓も増えているというのに・・・ さて 最近 健常者の「手話講座」が各地で盛況だそうです。 私も行ってみたいとは思ってるのですが、なかなか時間がとれません。 続けて行かないと覚えられませんからね。 昔 私の叔母、祖母が生野区にいて、どちらかからもう一方のところへ行く途中に ろう学校がありました。 よく そこを通るときに、妙な発声練習の声を聞いたものです。 そのときは、???と思ってました。 後にそこが ろう学校と知りましたが・・・ ところで手話ですが、少し教えてもらったのですが、なかなか難しい。 といっても、動作は単純なんですけど、組み合わせがややこしい。 それに 実際の手話となると、早いのなんのって・・・ でも、この手話は聴覚障害の人にとってはコミュニケーションの唯一の手段。 もちろん筆談という手もありますが、あまりにもまどろっこしい。 この便利なものを誰が考え出したのだろうか? この「手話」、視覚言語の歴史は、ある教育者の存在なくして語れない。 ということで、本日のお題は 「手話」 あ シュワッチ!(ふるっ)ではありません 尚、昨日のお題は 「朝顔」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ 古都の世界遺産の一つ、京都・仁和寺の二王門をくぐり、参拝客らでにぎわう境内を抜けると御室の山々が迫り、そのふもとにが見える。 京都府立ろう学校。 京都市右京区に位置し、聴覚障害の子供たち82人が通う。 ここでは幼稚部から高等部まであって、手話は小学部から学ぶという。 聴覚障害者にとって欠かせない、そのコミュニケーションの手段が形成されたのはいつか。 歴史をたどると、この学校の前身「盲唖(もうあ)院」に行き着く。 明治前期 日本で初めて誕生した ろう学校。 手話を語るとき、まず 古河太四郎という人を語らなければならない。 幕末の1845年、京の西陣辺りで生まれ、「近代障害児教育の先覚者」とされている。 700人近い生徒を抱える寺子屋が生家とあって、幼少から文武に親しみ、明治維新後 自らも読み書きを指導した。 折しも、東京遷都で停滞感が漂う街を人材育成で活性化するため、1969年(明治2年)、64の小学校が設けられ、古河もその教職に就いた。 事件が起きたのは、その翌年のこと。 水不足に悩む農民らのため、池開発を支援して国の許可書を偽造し、投獄された。 ある日、獄舎の窓からの不自由な2人の子が殴られ、からかわれているのを見た。 障害者への過酷な差別があった時代。 ろう者は孤立し、意思伝達の手段も持ち得なかった。 教育の機会を与えないのは、過ちだ と。 そう考え、2年後に自由の身となって復職してから、生家に近い小学校で、あの2人を含む3人の障害児を教え始めた。 地元の有力者の助力を得て、内に専用の教室も作ったという。 の聞こえない生徒とどう意思疎通を図ったのだろう。 "互談する所に注目し其(その)意を酌み" と、古河は書いている。 身ぶり手ぶりで「互談」する生徒らを観察し、手指や顔の動作一つひとつが何を示すか、探っていったらしい。 動物、草木、衣服、色・・・ 様々な事物や事象を示す動作はやがて100を数え、古河は「手勢(しゅせい)」と名づけて文法化に取り組んだ。 日本での手話の原型だ。 まだ初歩の段階ながら、その手法は評判を呼んだ。 明治天皇が77年(明治10年)6月に視察したのを機にして、親たちが障害児教育を求める運動を展開していく。 古河も呼応して教育施設の拡充を訴え、ついに京都府が動いた。 東西両本願寺や有力者らから現在の価値で5000万円以上の寄付も集まり、今の中京区で ろうあ院が開校されたのは翌年5月。 聴覚障害の31人と視覚障害の17人が入学し、式典で初代院長の古河と生徒が手勢を披露した。 それは、獄舎の前でいじめられていたあの2人だった。 古河は、動作を一つひとつ図示した「形象手勢」に加え、指で日本語の五十音を表す「指文字」も考案して「五十音手勢図」を作成し、教育に生かした。 院長を11年務めて退職し、1907年(明治40年)、62歳で生涯を閉じたが、教え子らの交流がろう者の全国組織結成へつながり、手勢は手話として発達していく。 盲唖院は開校翌年、京都府庁の南に移り、やがて ろう学校となって戦後、御室に学舎を構えた。 手話は改良を重ね、古河が編み出した単語の多くは既に使われていない。 指文字も、よりわかりやすい形式に取って代わられた。 手話辞典に収録された語の数は、最新版で8300余り。 当初とは比べものにならないが、「ここまで洗練されたのも先生の功績があればこそ。 我々の恩人です」と 日本手話研究所の高田英一所長は言う。 尚、手指の形や動き、顔の表情などで意味を伝える手話は、1760年、フランス・パリで世界初のろう学校を開設したド・レぺが考案し、教育に取り入れたのが始まりとされる。 手話は世界共通ではなく、アメリカの ASL・イギリスのBSL・フランスのLSF等のように各国で異なる。 世界ろう連盟主催の国際会議、国際大会など、国際的な場では国際手話が使われる。 厚労省の2006年度実態調査によると、日本で身体障害者手帳を持つ聴覚障害者は約27万6000人で、うち約5万2000人が手話を日常的に使っているという。 「手話」 あなたも習ってみません? 聞こえること、話せること、幸せなことです。 尚、私のブログ仲間、秘密の洗体レディさんが、この度 本を出すことになりました。 6/12 にamazonから発売されています。 「おくりびと」の実態をとくとご覧あれ。 本にはおもしろおかしく書かれてはいますが、実態はかなり悲惨なこともあります。 なぜか大学からアクセスの多い別ブログ 更新しました ●別ブログ 6/8の新着は「皆既日食」 前回は「なりすまし 実証」 こちらも見てね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年06月18日 06時09分33秒
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