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カテゴリ:歴史
やっと雨がやみました。 どんより曇りがちだけど・・・
なにわの夏を告げる「愛染まつり」がはじまった。 次に夏真っ盛りの「天神まつり」があり、夏の終わりに「住吉まつり」となる。 なにわの「いとさん」、「こいさん」たちがこの時期から浴衣を着始めることから別名、浴衣まつりとも呼ばれています。 また、「大阪の夏祭りは"愛染さん"で始まって"住吉さん"で終る」といわれることから、「あい(愛)すみ(住)ま せん(てん=天)」という言葉の語源にもなった という。 動画はこちら→「愛染まつり」 さて、この前 万葉の「危険な愛」を書きましたが、現代の主婦も「ときめき」を期待する意識が強いことがわかりました。 ------------------------------------------------------------ P&Gは、柔軟剤入り洗剤「ボールド」のパッケージリニューアルを記念して、主婦と20代男性を対象にした「ときめきに関する意識調査」を2009年6月12日~15日に実施した。 それによると、「結婚していても、ときめきは必要か?」との質問に、「そう思う」、「ややそう思う」と回答した主婦は、実に87.3%いた。 一方で、「結婚後は夫にときめきを感じるか?」の問いでは、「感じていない」が60.5%で、「感じている」の39.5%を引き離す結果に。 しかも、「最近夫以外の男性にときめいた」とする回答が74%だった。 とはいえ、「自分にときめいて欲しい人」は72.0%が夫をあげている。 反対に、20代男性に聞いた「年上の女性に魅力を感じるか?」では、「とても感じる」、「やや感じる」が81.6%。 「主婦にときめいた経験があるか?」では、「ある」が39.8%となっている。 加えて、魅力的な主婦の条件としては、「女としてのきれいさをあきらめない」があげられていた。 調査はインターネット上で、20~29歳の男性400人と25~49歳の主婦400人を対象とした。(2009年7月1日 J-CASTニュース) ------------------------------------------------------------ 世のダンナさま。 帰ってきて「メシ、風呂、寝る」ではいけません。 美容室へ行って、髪型が変わってたりしたときなどは、タマには誉めてあげることも必要です。 そして、奥様方もある程度の年齢になると、化粧もうっとうしく、すっぴんのまま という人が多いもの。 しかし、魅力を秘めるには「きれいさをあきらめない」努力は必要なようです。 さて、来年 2010年は「阿修羅」でも書いたように「奈良・遷都1300年」。 そして、2013年には「伊勢神宮式年遷宮」があります。 20年ごとに、内宮、外宮の正宮と別宮をヒノキで建て替える式年遷宮は、今回で62回目を迎える。 が、このヒノキ、「赤沢自然休養林」でも書いたように、名古屋城本丸御殿の復元もあり、遷宮用材確保に難渋をしている。 ということで、本日のお題は 「伊勢神宮式年遷宮」 尚、昨日のお題は 「インスタントカフェオレ」 ご覧になってない方はこちらもどうぞ 2013年、伊勢神宮は第62回目の式年遷宮を迎える。 神宮自ら米を作り、酒を醸し、糸を紡いで布を織り、自然の連鎖のただ中に身を置くのも、「自然を征服できる」という人間の傲慢を戒めてきたのだという。 しかし その神宮でさえ、遷宮を支えるヒノキの大木だけは長く連鎖の枠外に置かれてきた。 式年遷宮が始まった約1300年前、ヒノキを切り出す「御杣山」は神宮周辺にあった。 しかし、鎌倉時代末までに天然ヒノキは切り尽くされ、宮川の中・上流域へと移った。 室町時代には一時、裏木曽が御杣山になり、やがて戦国時代の混乱で約12年間の中断となる。 1585年の再開後は、宮川最上流の大杉山から切り出されていたが、1回の遷宮で樹齢数百年以上のヒノキの大木を約2600本も切り倒す。 連続6回の遷宮で良材は尽き、神宮の目は再び尾張藩領の木曽、裏木曽へと向けられた。 徳川幕府は尾張藩に神宮への協力を命令。 伐採から木曽川・錦織綱場までの搬出は、経費を含め同藩の責任となった。 これでは同藩もたまらない。 何度も御杣山の返上をもくろみ、1789年の遷宮は大杉山に変更となった。 この時の用材確保はさんざんなものとなり、神宮は木曽への復帰を願うが、尾張藩はなかなか首を縦に振らない。 神宮の用材担当者を山へ案内し、ヒノキの枯渇ぶりを強調したりした。 結局、幕府の指示で木曽川支流の湯舟沢山と蘭山が御杣山となった。 同藩は両山を遷宮用として保護していく配慮も示すが、同時に「伐採・搬出は神宮自身の手で」と宣告している。 その後の200年、遷宮用材はすべて木曽ヒノキでまかなわれてきた。 しかし、持続性のない資源の略奪である以上、いつかは尽きる。 「代わりの山はもうない」との危機感から、神宮周辺の「宮域林」(約5400ヘクタール)で、「22世紀の御杣山」を目指してヒノキの植林が始まったのは1925年だった。 ようやく神宮の手で、ヒノキが生命の循環の輪に加えられた。 まだ大木というのにはほど遠いが、次回の式年遷宮では「宮域林」のヒノキが約700年ぶりに使われる。 「文明の前には森林があり、文明の後に砂漠が残る」 19世紀初頭のフランス人作家、シャトーブリアンの警句である。 尚、私のブログ仲間、秘密の洗体レディさんが、この度 本を出すことになりました。 6/12 にamazonから発売されています。 「おくりびと」の実態をとくとご覧あれ。 本にはおもしろおかしく書かれてはいますが、実態はかなり悲惨なこともあります。 なぜか大学からアクセスの多い別ブログ 更新しました ●別ブログ 7/1の新着は「七夕」 前回は「皆既日食」 こちらも見てね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年07月03日 16時44分36秒
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