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カテゴリ:歴史
家にあれば 笥に盛る飯を草枕
旅にしあれば 椎の葉に盛る 作:(有間皇子ありまのみこ) 万葉集より <平穏に家にいるときは椀に盛ったご飯を、草を枕に寝る旅であるから、椎の葉に盛って神に供える> 前回 「危険な愛」で額田王のことを書きましたが、この時代の少し前になります。 中大兄皇子(なかのおおえのみこ:後の天智天皇)が「近江大津宮」(おうみのおおつのみや)を築く前です。 大化の改新(645年)から13年。 皇位継承の有力候補だった有間皇子(ありまのみこ)は謀反の疑いをかけられ、斉明天皇らが訪れていた牟婁(むろ)の湯(現 和歌山県白浜町)に、都の飛鳥から連行された。 そこで中大兄皇子の尋問を受け、藤白坂(現 海南市)で処刑された。 享年19歳。 事件は、権力強化のために中大兄皇子が仕組んだとの説が有力とされている。 護送中に磐代(いわしろ)(現 みなべ町)で詠まれた歌は、旅の不自由を平明に表現しつつ、近い将来の死の予感を漂わせる。 謀略、テロや戦争、無差別殺人。 昔も今も、罪のない人たちの血が流れる。 日本史の歴史上の悲劇の英雄 源義経に次ぐくらいの悲劇の主、それが有間皇子とも言われる。 父親が天皇に即位したが為に、一人息子だった事から俄かに皇位継承の争いに巻き込まれてしまった。 まさに冤罪(というより謀略)の犠牲者である。 ということで、本日のお題は 「冤罪の犠牲者」 尚、昨日のお題は 「無料開放」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ 大化元年(645年)6月14日に父の孝徳天皇が即位。 孝徳天皇は同年の12月9日に都を難波宮に移す。 が、白雉4年(653年)に中大兄皇子が、都を倭京に戻す事を求めた。 しかし、孝徳天皇はこれを聞き入れなかったため、中大兄を初めとする皇族達やほとんどの臣下達が倭京に戻ってしまった。 皇后の間人皇女でさえ兄に従い、戻ってしまった。 中大兄皇子 2度目のクーデターである。 失意の中、孝徳天皇は白雉5年(654年)の10月10日に崩御した。 中大兄皇子は、百済の王族である母を再度 天皇にすることで高句麗との関係や百済との関係を維持した。 そして、斉明天皇元年(655年)の1月3日、宝皇女が再び飛鳥板葺宮で斉明天皇として即位した。 当時、中大兄皇子は天皇になろうとしたものの、高句麗の反対に会い天皇になれなかった。 高句麗としては自国から選出した孝徳天皇を実質的に殺したのが中大兄皇子である。 高句麗は、時期を見て、次の天皇に有馬皇子を据えようとしていた。 しかし、これは中大兄皇子にしてみれば、とんでもない話である。 そのため 身の危険を感じてきた有間皇子は心の病を装って牟婁の湯に療養に行った。 そのまま、牟婁の湯にいれば、皇子は死ぬことはなかったかもしれない。 しかし、飛鳥に心を引かれていた皇子は「病が完治した」と称して、飛鳥に帰ったのである。 飛鳥に帰った後に、自分の病気が完治した事を斉明天皇に伝え、その土地のすばらしさを話して聞かせたため、斉明天皇は中大兄皇子とともに紀の湯に行幸した。 飛鳥に残っていた有間皇子に、中大兄皇子の意を受けたと思われる蘇我赤兄(そがのあかえ)が近づき、斉明天皇や中大兄皇子の失政を指摘し、自分は有間皇子の味方である事を伝え、斉明天皇と中大兄皇子打倒の計画を練った。 この時、有間皇子は母の小足媛の実家の阿部氏の水軍を頼りにし、天皇達を急襲するつもりだったという説が最近出てきている。 しかし、赤兄の裏切り密告により、この謀反計画は露見し、彼は守君大石・板合部連楽達と捕らえられ、斉明天皇4年(658年)の11月9日に中大兄皇子に尋問された。 その時、有間皇子は「天與赤兄知。吾全不知」(全ては天と赤兄だけが知っている。 私は何も知らぬ)と答えた。 有馬皇子は、はじめから天皇位を狙う意志などなかった。 ただ、中大兄皇子の脅威から逃れたいという一心であった。 高句麗がどう言おうと有馬皇子は、静かに暮らしたかったのである。 その現れが、陽狂(気違いのまねをすること)であった。 しかし、中大兄皇子は、有馬皇子の存在を許さなかった。 乙巳の変では孝徳天皇にやられ、孝徳天皇崩御後は高句麗の横やりで、またまた天皇になれなかった。 そして、いつの日かまた、高句麗の思惑で、有馬皇子が天皇になるのではないかという妄想は消えなかった。 それで中大兄皇子は策謀を決めた。 赤兄は有馬皇子に中大兄皇子の失政を指摘し、中大兄皇子に殺された蘇我一族・孝徳天皇の仇を討とうと持ちかけた。 この時は、有馬皇子は赤兄の誘いを断ったが、翌々日には有馬皇子は赤兄の家に行っている。 日本書紀には、「樓閣に登って謀議していたら、脇息が自然に折れ、これを不吉な前兆として謀反を中止した」とあるが、赤兄の家へ行くこと自体が中大兄皇子打倒の意志を表明したものと思われる。 その夜、有馬皇子は自宅に帰ったが、夜半になって赤兄は軍を率い有馬皇子の家を囲んだ。 赤兄は自分で謀反の誘いをしておきながら、有馬皇子が同意したその日に、捉えにきたのである。 まさに謀略そのものである。 決してこれは遠い昔の話ではない。 政治家は(日常茶飯事)もちろんの事、サラリーマン、自営業、主婦、隠居、その他の大人、果ては子供まで、これに似たような「勧誘」は現代人のだれもが遭遇する危険性がある。 きっかけは突然である。 一見 自然である。 後から考えると不自然なのだが、そのときは気づくことはない。 「自分だけはだまされないよ」 な~んて自信を持って油断してはいけない! <追伸> 山口県防府市の大雨被害に対し災害救助法が適用され、「災害ボランティアセンター」が設置されました。 募集については当面は県内在住の方で、詳細については、防府市社会福祉協議会へお問い合わせください。 私も「皆既日食・ネット中継サイト一覧」で書いたように、土砂崩れに合って現地で緊急入院を余儀なくされました。 ホントに災害はいつ、どこで合うかわかりません。 <追伸 2> 以前よりの問題と、新たなアクシデントのため、ご訪問、レスがままなりません。 ご容赦! 私のブログ仲間、秘密の洗体レディさんが、この度 本を出すことになりました。 6/12 にamazonから発売されています。 「おくりびと」の実態をとくとご覧あれ。 本にはおもしろおかしく書かれてはいますが、実態はかなり悲惨なこともあります。 なぜか大学からアクセスの多い別ブログ ●別ブログ 7/14の新着は 「激安ラーメン」 前回は 「七夕」 こちらも見てね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年07月24日 19時41分02秒
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