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カテゴリ:歴史
八葉の嶺、八つの谷、まことに心もすみぬべし。
花の色は林霧の底にほころび、 鈴の音は尾上の雲にひびけり。 「平家物語」高野の巻より 約1200年前 弘法大師(空海)によって開かれた、真言密教の修行道場、高野山。 全国に広がる高野山真言宗の総本山です。 比叡山と並び日本仏教における聖地です。 空海は835年(承和2年)3月21日、山内で最初に伽藍を設けた壇上の御影堂で生涯を閉じました。 86年後、醍醐天皇が「弘法大師」の名を与え、これを御廟に報告した金剛峯寺座主兼東寺長者の観賢僧正が、空海の御衣を替え、「入定留身(にゅうじょうるしん)の聖地」となったのです。 弘法大師空海 : 一般的に「お大師さま」の名称で親しまれている弘法大師は、讃岐の国(現在の香川県)に生誕しました。 父は佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は阿刀(あと)氏の出身で、その三男です。 仏教に対する信仰心の厚い家庭であったと言われています。 ということで、本日のお題は 「日いずる国 高野山」 尚、昨日のお題は 「猫の癒し効果」 ご覧になってない方はこちらもどうぞ 標高約1,000mの高野山は「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録され、山の上の盆地に、壇上伽藍と称する聖地ではさまざまなお堂や塔が立ち並び、 仏像や曼陀羅が参拝者を迎えます。 「紀伊山地の霊場と参詣道」は、「熊野三山」、「吉野・大峯」、「高野山」の3つの霊場と、これらを結ぶ「熊野参詣道(熊野古道)」、「大峯奥駈道」、「高野山町石道」からなり、三重県・奈良県・和歌山県の合計29市町村にわたって広がっている交通路です。 尚、熊野古道は過去ログ「黄泉の国」を参照ください。 1980年台までは、大阪市など多くの小学校の林間学校の行き先になっていましたが、1990年代以降は林間学校の目的地の多様化などもあり、減少傾向にあります。 私の小学生時代は高野山への林間学校でした。 尚、「高野山」とは、八つの峰々に囲まれた盆地状の平地の地域を指し、高野山という名称の山はありません。 八つの峰々に囲まれているその地形は「蓮の花が開いたような」と形容されています。 うっそうと杉の樹の茂る奥の院には太閤秀吉から太平洋戦争の英霊まで、さまざまな人々のお墓が立ち並んでおり、御廟前の灯籠堂(とうろうどう)には、全国の信者からの奉納による無数の灯籠が輝き続けています。 平清盛が寄進したとされる高野山真言宗総本山・金剛峯寺の「両界曼荼羅(まんだら)」は原寸大の複製版を5年がかりで完成させました。 また 曼荼羅図は1156年(保元元年) 清盛が絵の具に自分の血を混ぜて奉納したとの逸話があり、「血曼荼羅」とも呼ばれています。 明治5年まで高野山は女人禁制であり女性は高野山内に入ることが出来ませんでした。 山内に入れない女性の為、高野七口と呼ばれた高野山への入口それぞれにお篭り堂が置かれていました。 現在は、この不動坂口の女人堂だけが残っています。 なぜか大学からアクセスの多い別ブログ 更新しました ●別ブログ 9/05の新着は「余命 1ヶ月」 前回は「宇宙のはじまり」 こちらも見てね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年09月07日 15時31分32秒
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