直感ってそんなに曖昧でしょうか?
たとえば、そば屋の内装をどうするのかを決める会議を行っていると考えてください。壁の色は、ベージュがいいのか、白がいいのか。ベージュは落ちつきが出て、そば屋らしい雰囲気が出る、と誰かが。白は清潔感が出て、食べ物屋としてふさわしい、と誰かが。そして誰かが、ベージュは心理的にどういう効果があって、白は心理的にどういう効果があるのか、そして、ベージュにしたそば屋の事例と白の場合の事例をあげて欲しい、と。そう、会議は壁の色ひとつで空転です。私はこの中で、一番確かそうだけど何も決められないのが3番目のやり方だと思っています。つまり、誰もが数値的に確認できて、その事例もある、というやり方。テストの成績は60点より80点の方が上ですが、60点の学生より80点の学生の方が優れているとは限りません。ビジネスだってそうですよね。排気量も多くて馬力も大きくて内装もいい上に安いクルマがそれよりも排気量が少なくて馬力も小さくしかも高いクルマより売れないことなんて多々あります。数字で示されると、それが絶対的に感じてしまうクセがあります。会議などだとなおさらです。しかし、実際の生活では違います。数字などはあまり目に触れることはありません。触れたとしても、それ以上に直感を信じます。たとえ馬力が大きくて安くても、デザインが直感的に好き!と思ったクルマの方が高くても、燃費が悪くても魅力的に見えてしまうのです。もちろん、数字のパフォーマンスで商品を選択するときもあります。特に高度経済成長期はそうでした。少しでも性能がいいものを、少しでも安く。それが絶対的な価値でした。数字のよさが、価値の高さでした。でも、今は違います。生活者、すべての五感を使って生活し、商品も選びます。五感を使うとはすなわち、ほぼ直感です。いい!と思ったものは、いいのです。会議で数字の検証を出すことはいいことです。しかし、それに振りまわされない出席者の鋭い直感と、直感を信じていいんだという信念がないと、たかだか数字に振りまわされます。そば屋の壁の色を決めるのに、心理学的な根拠とケーススタディがどれほど必要でしょうか?必要かもしれません。しかし、そこに時間をかけるより、他に時間をかければもっと良い店舗になる気がします。直感。今までないがしろにされていた、誰もが持つ大きな才能です。