戦争を風化させてはならない
原爆の悲惨さを知っているのは日本だけだ
どこかの国ではICBMで武力の威嚇を行使している
それは本当の破壊力、その後の悲惨さや痛みが解っていないからだ。
我々は後世を平和に生きて行けるように核戦争を防止する為に語り継いでいかなくてはならない。
かつて広島には広島電鉄家政女学校があった。
今で言う女子高生が働きながら学び、電車の車掌や運転をしていたのだ。
終戦前は早朝から深夜まで14~17歳の女学生たちが運転手、車掌として勤務
兵隊に取られた男たちの代わりを務めていたのだ。
原爆が炸裂したあの日も、チンチン電車は広島の街を走っていた
「あの日」、在籍していた約300人のうち、多くは乗務中か寮(爆心地から2・1キロ)にいた
29人と教師1人が犠牲になった
三年前にはNHK広島放送局でも黒島結菜さん主演「一番電車が走った」という題名でドラマ化された。
広島で多くの人が一瞬で亡くなり、建物も消滅した
あたり一面焼け野原になり、生き残った人々が絶望している
そんな中、一人の男が立ち上がった
広島電鉄の社員だ
こんな時だから人々に生きる希望を与えなくてはならない
たった3日後に多くの人々の努力で己斐-西天満町間で運転を再開した
運転が再開された時も、軽傷の女子生徒が運転
終戦で、男性の労働力を補う役割を終えて廃校になった
共演された阿部寛さんは言っていた。
「無関心が一番怖い」
原爆の日をきっかけに知らなかった人には知ってもらいたい。
↓「チンチン電車と女学生」本は、彼女らが通った「幻の女学校」の存在を明らかにし、徹底した取材で、少女たちの青春と、8月6日のヒロシマを記録する。
夏休みに子供たちに読んでもらいたい一冊である。
チンチン電車と女学生 1945年8月6日・ヒロシマ (講談社文庫)