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カテゴリ:トルコと日本と世界の出来事
【12月24日・木曜日】 イスタンブールでも,クリスマスのデコレーションは欧米諸国や日本のように派手ではないが、かなりのイルミネーションが施され、クリスマスと新年を一緒にした10日ほどを「ユルバシュ(新年)」、大晦日の夜を「ユルバシュ・ゲジェシ(新年イヴ)と呼んでいる。官公庁や銀行、学校も元旦だけは休日になるが、日本でいう年末年始1週間ほどの休みがないし、デパートや店々が街に流すジングルベルに急かされることもないので、私ももう長らく、新年を迎えるという緊張感が薄れてしまっている。 レベント地区のショッピング・センターなどにはこのようなイルミネーションが・・・ さて、昨年12月半ばから、和歌山県串本町の大島で、荒海の中での遭難船救助シーンから始まった映画「海難1890」の撮影は、その後4月からイスタンブールに撮影地を移し、出航前の乗組員のエピソードや、イ・イ戦争で、戦火にさらされたイランの首都テヘランに取り残された日本人の絶望状態と、メヘラバード国際空港で起きた奇跡、トルコから日本人を乗せるための救援機が到着するまでを、約1ヵ月かけて撮り終えた。 その後地中海沿いのリゾート地アンタルヤ市郊外にある巨大なスタジオに舞台を移し、30メートルに及ぶエルトゥールル号の模型を2体使っての、遭難そのもののシーンなどを1ヵ月で撮影し、5月末にクランクアップ、日本とトルコ側でそれぞれの編集が始まり、田中光敏監督やプロデューサー他のスタッフの皆さんが何度も日本とトルコを往復、ミーティングを重ねたうえで完成を見たとのこと。 そしてついに12月5日に日本でまず一般公開、トルコでは間に総選挙が2度も行われたせいでやや遅くなり、12月25日に公開の運びとなったのだった。 私は日本人テレビタレント小林正貴さんが、自分の所属プロダクションの女性社長エズギさんからの招待で、GALA Gecesi(ガラ・ゲジェシ=映画の封切り前夜祭・ロードショウ)に奥さんと一緒に連れて行ってくれたので、思いがけずきらびやかなカクテル・パーティや、田中監督や、主演・助演の有名俳優達の記者会見と個々のインタビューなども見せて貰うことが出来た。 カクテル・パーティ会場の入り口に設けられた記者会見の場で。 内野聖陽さんとケナン・エジェさんが話をしている隣、忽那汐里さんと田中光敏監督。 小林正貴さんと一緒に記念撮影しました。 この紳士は水中考古学者トゥファン・トゥランル先生。串本でエルトゥールル号の 水中発掘調査に関わって毎年来日、今年も1月から再開されるとのことです。私は 昨秋イスタンブール海洋博物館の日本人向けの先生の講演で通訳を担当しました。 この映画化のプランはもう、10年くらい前から立てられていたとのことで、結果的に二国の合作という大規模な話になって、田中監督はじめ、この映画の実現を夢に見てさまざまな原動力・推進力となった方々の思いがこもっている。出来上がって見れば、去年12月の寒空の下で始まった串本の遭難現場での必死の救助シーンや、空爆でいたるところ廃墟のようになったテヘランの街を逃げ惑う人々、メヘラバード空港(に見立てたイスタンブールのヴェリ・エフェンディ競馬場)に詰めかけたトルコ人の帰国希望の群衆、そして取り残された200名以上の日本人などのエキストラの数は、延べ千人~2千人にも上る壮大さだったのである。 本日、いよいよ7時から始まったカクテル・パーティのあと、8時半過ぎにオペラ劇場である試写会の会場に入場が始まった。指定席だった筈の観客席は、われ先に詰めかけたトルコ人の招待客で押すな押すな状態、正貴さんと夫人のシェナイさんや私は、女性社長エズギさんの後をついて行き、どうやら劇場内に入ったのだが、予定の席からはるか離れた2階の奥の方にやっと着席することが出来た。 ゾルル・パフォーマンス・芸術センターのオペラ劇場で試写会が行われました。 シェナイさんと私。2人ともハンカチやチリ紙をたくさん用意しました。 ダヴットオール首相の祝辞。内外の厳しい情勢の真っ只中、心洗われる珠玉 のひとときになったのではないでしょうか。着物姿は司会の高野あゆ美さん 1985年3月に、トルコ航空機が救援機の乗組員を募集したとき、 真っ先に志願して危険なテヘランに飛んでくれた勇敢なホステス達。 左ダヴットオール首相、その隣田中監督、右の方にケナン・エジェ氏 アンカラから来られた日本の横井特命全権大使やマーヒル・ウナル文化・観光大臣、そしてアフメット・ダヴットオール首相の祝辞があったのち、映画関係者や、テヘランの救出劇に命がけで救援機に乗り込んでくれた乗務員の皆さんが、当時の制服を着て舞台に登場した時は、割れんばかりの拍手に迎えられ、感動のひとときのあと、いよいよ映画試写会が始まった。 トルコの製作スタッフの編集になるこの「エルトゥールル1890」は、もちろん日本バージョンと同じ画面を使っているのだが、日本の場合と何か相違があるのだろうか、と私はGALA Gecesiのほかに、2日後の26日には現地通訳を務めた1人として、日本版の「海難1890」にも招待して頂いているので、しっかりと目を見開いて一画面一画面大事に観賞しようと待ちかまえていた。 そして・・・ 映画は126年前の1889年、鏡のような串本大島の海面をヒロインを乗せた1艘の小舟が滑って行き、船頭の漕ぐ艪の音ものどかな、詩情豊かな場面から始まった。その頃、イスタンブールからもフリゲート艦エルトゥールル号が600名余りの乗組員を乗せ、運命の航海に出たのである。 エピローグが終わるまでたっぷり2時間、観客席の私も、串本の遭難場面では息をするのも苦しい緊張感、恐怖感に満ちた絶体絶命の危機をエルトゥールル号の乗組員とともに味わい、後半のテヘラン編ではイランの日本人達と共に手に汗を握り、空爆の恐ろしい着弾・さく裂音に地にひれ伏し、出演者と共に泣きながらストーリーを追った。 今日の前夜祭では、会場の観客はほとんどがトルコの人なので、テヘラン編で時の首相、トゥルグット・オザル氏(のち大統領)が、超法規的な決断で日本人のためにもう一機、救援機を飛ばすよう命じると、秘書官が「閣下、テヘランの空港では大混乱になりますぞ」と言うと、「私はわが国民を信じている」と極めて冷静に答えたところで、会場から大拍手が湧き起こった。私ももちろん力いっぱい拍手を送った。 首相を演じた俳優のデニズ・オラルさんは、普段は滑稽な役どころのコメディアンなのだが、オザル首相そっくりの扮装で、このシリアスな役柄でも芸達者な存在感を示した。存在感と言えば、空港で、「俺達はトルコ人だろ、トルコの飛行機じゃないか、救援機にはトルコ人を優先して乗せろ!」とカウンターの職員に詰め寄る、超こわもてのマフムット氏役に、重厚な演技で知られるハルック・ジョメルトさんが出演、彼はマフィア映画でもよく知られたわき役俳優で、アンカラの俳優養成所の先生でもある。 マフムット氏に扮したハルック・ジョメルトさんと。この人はテヘランの空港で 真っ先に日本人に搭乗の権利を譲ってくれるトルコ人達のキーパーソンになります。 そしてテヘランの街を逃げ惑う日本人エンジニアの妻として、小学1年生の坊やを抱えて走った、トルコで活躍してきた日本人女優、高野あゆ美さん。控えめでも芯は気丈な大和撫子を演じて見事だった。 主役の人々も演技派揃い。正義感の強い医師を演じた内野聖陽さんと、許嫁を海難事故で亡くして以来、口の利けなくなったヒロインを演じた情感こもるまなざしの忽那汐里さん、トルコ演劇界の新進気鋭、白皙の貴公子風なケナン・エジェさん、ちょっと暗い過去を持つ男などの役どころで人気上昇中の好漢アリジャン・ユジェソイさんなど、俳優陣も素晴らしいし、こうした人々のキャラクターや演技力をいかんなく発揮させる田中光敏監督渾身のメガホンで、これほどの作品として完成したのも、これまた日本・トルコの選りすぐりのスタッフ・キャスト陣が日夜努力された賜であろうと思う。 本当に素晴らしい作品のGALA Gecesiに呼んで頂き、小林さんとエズギさんに深く感謝します。また、たとえ短い期間でも撮影現場の通訳として仕事を頂いたので、私も、多少なりと関わることの出来たこの映画は、一生の思い出に残る仕事となり、映画を見ながら感動また感動のシーンに深く胸を突き動かされたのです。素晴らしい映画を作って下さった皆様に心から感謝申し上げます。 どうかこの作品をたくさんの方々に見ていただき、シリアやイラクにいま、怪獣のようにのさばるISIDやPKKの不気味なテロ攻撃で荒廃しきった故国を、命からがら逃げ出さなければならない人々の苦渋が早く終わりますように、と祈りたい気持ちでいっぱいです。 最後に、この映画の実現を夢見て、個人として出来る最高の努力・協力をしてきた串本出身の忘れ得ぬ人、空港シーンでエキストラとしてボランティア出演するために、はるばる日本から駆けつけた加藤友子さんと私の友情記念の写真をご披露します。 4月25日、空港シーン、最後の撮影日です。私もこの日は遊軍通訳をしながら、スカーフを被って日本人エキストラの一行に加わっています。人数合わせのための参加なので、実際には画面に映ってはいません。 エキストラの役目:とにかく不安でいっぱい、絶望的な顔をしてくださいとのご指示でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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