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カテゴリ:トルコと日本と世界の出来事
【1月12日・火曜日】 2015年の4月2日、チューリップ祭りの頃のスルタンアフメット。 ヒポドローム広場(舞台の左奥)はまだ木々の新芽が萌えたばかりでした。 今朝、私は9時過ぎに家を出てグランド・バザールに少々の両替をしに行き、そのあとスルタンアフメットのヒポドローム広場にある2基のオベリスクの間にある、3匹の蛇の絡み合った青銅製の柱を特に見たいと思っていた。 1月8日から9日にかけて、私は日本の友人と、彼女が主宰するFacebookの「Pergamon Muse ~ We love Bergama」というサイトで、ギリシャ神話の太陽神アポロの息子で、医術の神であるアスクレピオスの杖とそれに絡む蛇の話をしていたのだった。 医術と関係があるかどうかはわからないが、ヒポドローム広場のオベリスクの中に、頭部が欠損した3匹の蛇の柱があることを書いたら、トルコに年に2~3度仕事がらみで来る彼女が、大いに興味を示し、一度それを見たいです、と言う。 それを聞いて、私は近いうちにしばらく見ていないあの蛇の柱をもう一度よく見ておき、時間があれば近くの考古学博物館にも寄って、欠損している3匹の蛇の頭の1つが展示されているので、彼女に写真や由来を書き送ってあげよう、と思いついた。 今日は久々に天気もからりと晴れていることだし、友達と話した蛇のオベリスクに関しても、グランド・バザールに行くついでに回れるならちょうどいいし、午前中のあまり人ごみのないヒポドローム広場をゆっくり歩くのもいい。昔と比べてここ数年で広場は、敷石も平らなブロックになって、いまはアヤソフィア博物館やトプカプ宮殿の前まで、敷地全体が非常に歩きやすくなっていた。 8時を少し過ぎた頃、東京のFB友達で、まだ会ったことはないが、昨年5月に知り合い、折々やり取りしている女性からチャットが入ってきた。大事な相談事だったので、慎重に考え、言葉を選んで応答したり、アドバイスをしたりした。その他の話題でも盛り上がり、気がつくと10時をだいぶ回っていた。 そろそろ行かないと午前中に用事が終わらないな、と思っていた矢先、エブルの美樹さんから電話がかかってきた。 「あっ、加瀬さん、大丈夫ですか?」 「はーい、美樹さん、え? 大丈夫よ、どうぞ」 美樹さんの息遣いがちょっとはずんだ感じだったが、そのとき私は今話をしても大丈夫ですか、と言う意味で大丈夫ですかと聞かれたのだと思った。 「今どこですか」 「うちにいるけど」 「あああ、よかったです~、少し前にすごい大きな音聞きませんでしたか」 「大きな音? どうだったかなあ、分からない。ここもいろいろな音がするから・・・何かあったの?」 「まだ10分そこそこですよ、スルタンアフメットで爆弾が破裂したらしいんです、外に出たらもう凄い黒煙もみえました。テレビで見たら自爆テロらしいです」 「ええ~っ、ホント!? 美樹さん、すぐテレビつけて見てみるね。心配してくれてありがとう。またあとで話しましょう!」 後から思えば、美樹さんのいるエブルのアトリエは、スルタンアフメット地区からは海を隔てて1キロあるかなしかのアジア側の対岸、見晴らしのいい崖の上なので、南西から吹くロドスの強い風に乗って大音響がそのまま伝わったに違いない。 私の家はスルタンアフメットから直線距離なら多分2キロ程度で、風向きと逆方向に当たるので音は聞こえなかったのだろうと推測される。 とりあえず、チャットをしていた日本の友達に、美樹さんと話をしながら、片手で「スルタンアフメットで」「爆発」「テレビを見ていますので」「あとでご連絡します」と、とぎれとぎれにやっと書いてチャットを終わらせた。 テレビには、広場に消防車や沢山の救急車が駆けつけてくる様子が、慌ただしく何度も繰り返されており、詳細は調査中とのことだった。 私は日本にいる娘にスルタンアフメット自爆テロのニュースを知らせた。私が電話をしたのは日本時間で午後5時46分、彼女の勤め先にもまだこの事件の公式入電は届いていないらしかった。 そしてさらに、スルタンアフメットの広場近辺には、私の付き合いのある人がたくさん住んだり、働いたりしているので、いても立ってもいられない気持で、見舞いの電話をかけ始めた。その上、私にも他の地区にいるトルコの友人達からお見舞いの電話がかかってきたりする。 電話が途切れている間はずっとテレビのニュースを追いかけていたのだが、詳細が分かってくるにつれて、県庁から死者10人、重軽傷者15人、と発表され、各テレビ局の字幕にも掲示された。やがて昼を過ぎる頃、犯人は1988年生まれのシリア人と言うことも判明した。 それにしても、なんということだろう、観光を楽しむ罪のない人々を巻き込んで、こんな惨劇を起こすテロリストとは何と残酷無比な、人間らしさのかけらもないロボットになってしまっているのだろう。洗脳の恐ろしさをまざまざと感じさせられる。 朝のうちに、チャットが入ってきたために私は行っていたかもしれない場所に行かれなくなって、結果的には救われたのだが、それ以上にイスタンブールの観光産業がもう完全にノックアウトを食ってしまったことで自分もまた、痛烈な打撃を受けてしまった。 自分が難を逃れた、と言うことより、これから先、イスタンブールが失うおびただしい観光客、名声、輝かしさ、そして多大な経済的損失が惜しい。我慢できないほどくやしい。そしてまた、世界中のイスタンブールを見たいと思っていた人々の楽しみも奪われてしまったのである。 しかし、嘆いてばかりいてもはじまらない。やがて近い将来、イスタンブールはきっと不死鳥のように蘇って、千年、二千年の歴史を誇る古都としての栄光を背に再び、堂々と復活してくれることを今は信じたい。 被害者の一人、60代くらいのドイツ人男性は、足を負傷し車いすに乗せられてドイツに帰るとき、「またトルコに来るよ。私の旅は終わっていないんでね」と空港で、テレビカメラに向かいにっこりして見せてくれたのが、せめてもの慰めだった。 この事件で犠牲となられた方々のご冥福を祈り、負傷された方々の一日も早いご快復を願ってやみません。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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