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カテゴリ:トルコと日本の文化交流
【1月16日・土曜日】 2007年に夫君と共にトルコに移住、筝の演奏でつとに名声を高めている末富敦子さんが、昨年に引き続きトルコの琴「カーヌーン」奏者、ギョクセル・バクタギル氏、葦笛「ネイ」奏者、エユップ・ハミシュ氏との共演で、今年も新年早々に「トルコ・日本友好コンサート」を開くことになった。 私もご招待をいただき、会場の「ネヴ・メキャン」の場所が分からなかったので、一緒に招待して頂いたウスキュダルのアフメットさんに船着き場まで迎えに来て貰い、昼間のうちにアフメットさんは一度会場の場所を確かめに行っておいたとのことで、船着場からは奥まったところだったが、タクシーで難なく8時15分頃に早目に到着することが出来た。 それでも既にかなり沢山の人が詰め掛けていた。招待客以外は自由席、椅子の数に限りがあるとのことなので、トルコでは珍しく時間前から集まっていたのだろう。 ネヴ・メキャンはウスキュダル市のバーラルバシュ地区の文化センターと同じ敷地内にあった。そこもウスキュダル市の施設らしく、図書館とカフェが一緒になった、とても洒落た建物だった。 9時5分前、敦子さんとギョクセル氏の挨拶と音合わせが始まり、時間どおりにスタートした。「さくらさくら」、「荒城の月」など、懐かしい日本の歌から始まり、もう私は、出だしからぎゅっと胸を絞られてしまった。 ネヴ・メキャンでのコンサート、まずは開演のご挨拶、 ギョクセル氏と、敦子さん、もうおなじみのコンビです。 エユップ氏が加わり、ネイの演奏も始まります。 ネヴ・メキャンでは一階部分にありったけの椅子を並べ、アスマ・カット(中二階)にもぎっしりと人が入っている様子。200人くらいの人が集まっているように見えた。 私は一列目に席を頂いたので、演奏する敦子さんの指や腕を手に取るように見ることが出来た。しなやかな指、細く長い腕の、どこからこんな力が出るのだろうと思うほど、演奏はときに豪快、そしてときにじっと息をつめて聴いている人々の、心の琴線を震わすような繊細さが、交互にやってくる。 今夜の演奏にはそれほど激しい曲はなかったが、敦子さんの奏でるレパートリーの中で森羅万象を語る弦は、デリケートな美しい響きを醸すかと思えば、怒涛のごとく息も継がせぬ勢いで、押し寄せたり返したりするのである。 私は演奏中の敦子さんの特に右手に目を引きつけられていた。細く長い指が目にもとまらぬ速さで動くにつれ、まるで指の1本1本に新体操のリボンのように流れる光の帯が、くっきりと見えた。それは目に映る残像に他ならないのだが、カメラワークではなく、肉眼で見えるのがすごい、と内心驚いていたのだった。 最後に日本に何度も行ったトルコの誇る親日家の国民的歌手、故バルシュ・マンチョ作の「ギュル・ペンべ」で締めくくり、三氏が演奏を終えると万雷の拍手が起こった。 敦子さんの変幻自在の演奏に聴衆はうっとりしています。 ネイの響きは心の叫び・・・セマーの儀式にもネイの独奏があります。 ギュル・ペンベの演奏が終わった時の敦子さん カーヌーンの名手、ギョクセルさんも満足そうです。 トルコの芸術家、カーヌーン奏者のギョクセル氏やネイ奏者のエユップ氏という、たいそう名のある演奏家に囲まれ、一歩も引けを取らない見事さ、スレンダーな容姿に着物地で仕立てた素敵なドレスが、なお敦子さんを華麗に見せていた。 アジア側のウスキュダルは、アタテュルクが新制トルコ共和国を打ちたてた90年余り昔、今よりももっとモダンな女性が多く、髪をすっぽりとスカーフで覆った人などお年寄りかよほど頑固なイスラーム教徒の女性しかいなかったのだが、今のウスキュダルは若い女性も大多数が、今流行りのエミネ夫人スタイルで、すっぽりと日本のクラシックな花嫁姿の綿帽子を思わせる大きなスカーフで、高く結いあげた髪を覆っている人がほとんどだ。 しかし幸い、音楽には国境がないと言われるごとく、どんな髪型の人もいい音楽には感じ入ってたいそうな拍手喝采を惜しまず、嬉しそうに会場を去って行った。最後に敦子さんのほかにエユップ氏、そのあとギョクセル氏とともご挨拶して知り合い、記念撮影して貰ってお別れした。 テレビ局のインタビューなどあったのち、敦子さんとエユップ氏がご一緒に。 エユップ氏(向かって左)とギョクセル氏に挟まれて・・・ この余韻の覚めやらぬうちに私もアフメットさんに再び船着き場まで送って貰い、船、フィニキュレル(登攀電車)を乗り継いでヨーロッパ側に戻り、帰宅したのだった。 ご招待下さった敦子さん、会場でお世話になったワカコさん、どうもありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年01月22日 02時37分55秒
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