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カテゴリ:やってよかった/やらなきゃよかった
【1月17日・日曜日】 昨年ヨーロッパのとある国で勤務する日本人青年Xさんが、2泊3日の予定で初のトルコ旅行に来たのは、11月27日(金)から29日(日)までの期間だった。 ネット予約したタキシム広場近辺のホテルに投宿、夜10時頃、週末で賑わう広場周辺に出て来たとき、イスティクラール通り入り口のバーガーキングの前で、片言の日本語を話すトルコ人の男に声をかけられた。 男はデニズと名乗り、その近くのパブに誘い、ビールを1杯ずつ飲んだ。男は、普段はドバイで働いていて時々イスタンブールに来ている、日本にもちょっとだけいたことがある、大阪やどこそこにも友達がいる、などとX青年の興味を引くような話をし、別な店に行こうと誘った。そこの飲み代は彼が払ってくれた。小雨の中を11時半頃タクシーで次なる店に行った。 デニズはX青年に自分のトルコ携帯の電話番号を教え、その電話でXさんにコールすると繋がったので、彼は疑念もなく納得してデニズに付いて行った。 そして日付が28日に変わる午前零時少し前、デニズが連れて行って入ったのがシシリー、オスマンベイ駅に近いエルゲネコン地区の「カリメラ・ナイト・クラブ」。 そこで2時間近く飲んでいるうち、「もう眠くなった」と言ってもデニズが、あとでハマムに行こうと言いながらホステス2人をテーブルに呼び、更に2時間後また別な2人の女性を追加。30分ほどのち、「もう眠いから帰りたい」と言うとやっとお開きとなった。 会計が(正規の請求書などなく)、2人で合計17,200TL(同日のレートで約723,693円)、1人8,600TL(約361,846円)ということになり、X青年もデニズもそれぞれのクレジットカードで払った。(デニズの分は見せかけと思われる。) そのあと、X青年が席を外した間に、デニズが店にテーブルチャージを請求されたので4,000TLを払ったから半分負担してくれ、と言い出し、半信半疑ながらうち1,500TL(約63,113円)を店の外に出てから銀行のATMで再び引き出して彼に払った。 X青年は翌日、こういうことはどこに訴えたらいいのか、と悩んだが、その晩再びデニズから電話が来て「今日はもっと面白いところに案内するよ」と言われたが、さすがに断り、日曜日の朝、イスティクラール通りの横丁にあるベイオールの警察署の一つを訪ねてみると、英語が通じなくてラチが開かず、どうしようかとあてもなく坂道を下って行き、英語で道を訪ねた女の子に「日本人ですか」と日本語で言われて驚いた。 その女の子が私の中学生の友達のセリンちゃんで、お父さんが近くの土産物店の店長ユルマズさんだったのである。 ユルマズさんも事件がシシリー区の管内であるところから、シシリーの幾つかの警察に電話してくれたものの、やはり「うちの管轄ではない」と断られて困り果て、私に相談して来たのだった。 この件については11月29日(日)の私のブログにも書いたが、その前日、28日の土曜日に、トルコ有数の大都市、南東部のディヤルバクルで相次ぐテロ事件を憂いて街角で、仲間の弁護士達と共に平和を訴えていたディヤルバクル弁護士会の会長ターヒル・エルチ氏が、公衆の面前でテロリスト・グループに襲われ、凶弾に倒れた。 その日曜日は、ディヤルバクルの街を埋め尽くした、雪解けの大河のような人々の群れに守られて、エルチ氏のなきがらが永久の眠りに就く墓地へ、長い道を行進する様をテレビで見るつもりでいた私だったが、ユルマズさんの電話でたちまち状況が一変し、ユルマズさんの店の隣、イーイト・ギョズレメ店で待っているX青年のもとに駆け付けたのだった。 3時間ほど彼と話し合ったが、その日はもう、夕方6時発くらいの飛行機で任地に帰らなくてはいけなかったし、12月にはたくさんの国外出張仕事が控えているとのことだった。 「お金の方は諦めても、こういう事件が後を絶たないと聞いては、新年になったら必ずイスタンブールを再訪して、警察に調書を作って貰い、領事館に報告書を届け出て、同じような事件の再発防止に多少なりと協力したい。その節はぜひともお力を貸してください」と私に約束してXさんは午後3時、タクシーを呼んで空港に向かったのだった。 さて、それから1ヵ月半余り。Xさんから先々週の末頃、17日にイスタンブールに行くので、18日にお会いしたいのですが、ご都合はいかがですかとメールが来た。私もそのつもりで18日を空けていたのだった。 しかし12日にスルタンアフメットの広場で自爆テロ事件が発生、Xさんにも知らせたが予定通り行くとのことなので、私は、チョルルの家族同様の家に出かけるのを延期して、17日のうちにも一度打ち合わせをするために会えたら会いましょう、と連絡した。 それが今日だった。 週末から天候が崩れて、日曜からは今冬二度目の降雪があるとのこと。果たして朝から曇天で、昼過ぎには冷たい雨も降りだした。夕方、Xさんがタキシム広場の近くのホテルに到着した、と連絡があり、私は双方から近いトゥルンジュ・パンパンで出会いましょうと答えた。 2つのタクシー・プールにまったく空車がないので、6時を目指して家を早めに出たのに、ついに道でも拾うことが出来ず、強風にあおられながらやっとタキシム広場への坂道を上って行った。 久々に出会ったXさんがビールを頼んでくれたので乾杯したが、幾日滞在出来るのかを聞いたら、明日の夜帰るつもりが、天候のせいで夜の飛行機が欠航となって14時に繰り上がった、と言うので驚いた。 明日の朝から行動するのではたった3時間程度しか時間がない。それでは何にも出来ないではないか。それに外では雪が降り出して来ていた。これはのんびりビールを飲んで夕飯を食べている時ではないぞ。 1月17日夕方から18日朝にかけて積もった雪 とりあえず空腹ではなくなったので、8時には席を立ち、歩いてベイオール区の警察署を訪ねてゆき、ナイトクラブの住所を言ってシシリーのどの警察に行けばいいのかを聞いた。守衛所の警官はその事件の住所に一番近い警察に行って、そこで聞くように言うので、タクシーを拾い、フェリーキョイと言う地区にあるシシリー警察に行った。幸いにもそこが当該ナイトクラブの所轄署だった。 もう外はシャーベット状の雪が降りしきっており、ものすごい寒さだった。夜勤の警官達に親切に中に招き入れられ、そこで、チャイをご馳走になり、当直の司令室で、コミセル・ヤルドゥムジュス(警部補)のオウスハンさんが丁寧にいきさつを聞いてくれた。 調書を作成する警官の準備が整い次第、奥の部屋で話を聞きますから、あちらへ、と言われ廊下に出ようとした時だった。ちょうど外から私服の警察官(刑事と思われる)が2人、見回りから帰って来て、日本人が2人いるのを見ると、背の高い方の人が「どうした?」と警部補に聞いた。 オウスハン警部補が手短に事件の経緯を説明すると、彼は、今度は私に聞いた。 「あなたは彼のお母さんですか」 「いいえ、違います。私は彼の通訳をするために来ています」 私服のコミセル(警部)Yさんはちょっと驚いた顔で私を見たが、オウスハン警部補に何事か耳打ちしたあと、すぐにX青年に向き直って「Can you speak English?」と聞いた。 もちろんXさんも頷き、英語で質問に答えたので、Y警部は私に「ハヌムエフェンディ、今から私はXさんと一緒に店に行ってきますから、あなたはどうか寒くないところでゆっくりお待ちください。なに、じきに戻ります」と言うのだった。 Xさんは、やや青ざめた顔でY警部達の車に乗り込んだ。私はそのあと再びオウスハン警部補の机の前でチャイをご馳走になった。彼はにこにこしながら私に言った。 「Y警部は非常にベテランだからいい結果が期待出来ると思いますよ。それより、女性に歳を聞くのは失礼ですが、あなたはお幾つですか? あ、どうか誤解なさいませんように・・・」 「どういたしまして。私は72歳です。3月末には73歳になります」 それを聞くと警部補は、えっ?と言う顔で身を乗り出した。 「本当ですか、私はショックを受けましたよ。トルコ人だったら通訳を頼まれたとしても、あなたの歳でこんな夜遅く、しかもこんなに雪が降っている中を警察まで被害者を連れて来られる人はいませんよ・・・驚きました」 こうして四方山話をするうちに、車が戻って来て、上気した顔のXさんが私のそばに急ぎ足で近づいてきた。そしてまだ夢を見ているような面持ちで言うのだった。 「加瀬さん、お金を返してくれたんですよ」 つづく なお、この話は、Xさんがこのようなぼったくり事件を少しでも減らすために、自分に起きたことを、私のブログやFacebookで詳しく書き、世間の人に知ってほしいと自らご協力くださったので、ドキュメンタリー風に経過を追ってご報告しています。 現実にはなかなかお金まで取り戻すことは出来ず、誰にも言えず泣き寝入りをしてしまう人が大半なのですが、勇気を持って警察に届け出ることが犯罪を減らすことに繋がります。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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