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カテゴリ:やってよかった/やらなきゃよかった
【1月17日・日曜日】 X青年の頬は寒さのせいばかりでなく、明らかに興奮状態で赤みを帯びていた。 「えーっ、本当!? うわー、すごい、よかったねえ。」 「Yさんのお陰です、オーナーと交渉してくれたんですよ」 「どれくらい返して貰ったの?」 「8,600TLのうち、6,600TL(約277,696円)です。2,000が飲み代ということで・・」 「まあ、それは実際飲んだり食べたりもしているから仕方ないけど、2,000でもバカ高いよね。まあ、それにしてもすごい。デニズに払った分は?」 「店ではあの男は知らない顔だ、と言い張るので、それはもう諦めています」 私はY警部と握手しながら心から礼を言った。彼はオウスハン警部補の話では、転勤命令が出て2月からシリア国境沿いにある、今もっとも危険なシュルナックに異動になったのだそうだ。危険地域だからおそらく単身赴任なのかもしれない。 その前に家族と休暇を楽しむために、明日からの休暇届けの用紙を置きに署に寄ったときに、私達を見かけて声をかけてくれたのである。私達があと10分遅く警察に着いていたら、Y警部との出会いはなかったし、お金も返っては来なかったに違いない。 最初に出会ったとき、「お母さんですか」と聞いたY警部の目には、私が窮地に陥った息子のために必死で付き添って来た母親のように見えたのだろう。 雪の中を帰って行くY警部に、Xさんと一緒に深々と最敬礼で見送った。心の中で、シュルナックに転勤になっても、シェヒット(殉職者)にならないでほしいと祈った。 さて、調書作成室の準備が出来ていたので、私達はパソコンが4~5台並んだ奥の部屋に移った。こうした事件の調書には、すでにフォーマットされた例文があるようで、供述内容をそこにはめ込んでいくらしく、出来上がったのを1枚刷り出して貰って読んだ。 必ずしもこちらの説明の通りでもなかったが、大体納得がいったので、Xさんと私が当事者と通訳と言うことで、連名で署名していたとき、50代くらいの背の高いかっぷくのいい男性が署内に入ってきた。 奥の部屋からもちょうどドアが開けっ放しだったので廊下が見えた。「加瀬さん、あの店のオーナーですよ。何の用があって来たんだろう」と不安そうにXさんが小声で言った。 オーナーのZ氏も事件に関しての調書を取るため、呼ばれて出頭して来たのだった。Z氏は私を見ると、すぐにXさんの通訳・助っ人であるのを分かったらしく、そばに来て私の手を取り額に持って行った。 「ハヌムエフェンディ、私は店のパトロン(経営者)です。当方に計算違いがあったので、お金はお返ししました。ひとつお願いがあります。要するに和解したことなので、訴訟を起こしたりしないでほしいのです」 「大丈夫ですよ、Zさん。Y警部さんのお陰で双方にとっていい解決方法に繋がりました。Xさんの件でご理解いただけたこと、ありがとうございます」と私も丁寧に答えた。 Z氏側の調書を取る間、私達は隣にある取調室らしい部屋で待つことになった。そこは3面の窓ガラスが全部鏡で、外からは黒くて見えないようになっており、もちろん内側からも外は見えないようになっている。 どこか1か所だけ向こう側から見えるようになっている個所があるのかもしれないが、見ても分からない。刑事ものドラマでよく出てくるお馴染みの部屋である。 やがてしばらく待った後、また調書作成室に呼びこまれた。相手側の調書の写しも貰って読んだ。特に問題はないので、示談が成立することになり、そういう文言が書き加えられて改めてサインし直した。相手側は、参考資料に請求書の内訳を書いた紙を提出していた。 横目で見ると、金額を合わせるために滅茶苦茶な数量が書きこんであり、明らかに警察に呼ばれて急いで作成したものらしかった。Xさんも「なんだ、これ、こんなの出さなかったですよ」と苦笑いしている。 その間にも警察で2度くらい熱いチャイが振る舞われ、トルコの民主警察のいいところだなあ、としみじみ思う。それにトルコのポリスは人懐こい人が多く、特に日本人には親切にしてくれる傾向がある。 時刻は午前1時になろうとしている。書類は出来上がったが、Xさんが用心のためにパスポートをホテルに置いて外出しているので、ポリス2人がZ氏と私達を送りがてら、パスポートのコビーを受け取りに行くことになった。 同じ車で送ってくれる、というのも警察の配慮で、どこのホテルに泊まっているか相手に知られたくないのに、机の上に出ていたホテルのカードと部屋番号をZ氏に見られた、と思ったXさんが、ナイトクラブの用心棒に待ち伏せされて襲われるのではないか、と心配しているのをまるで察したかのように、当直司令オウスハン警部補の配慮で、3人を一緒に2名の警官が送ってくれることになったのだった。 Z氏が店の前で最初に降りてしまうと、やはりXさんもホッとしたらしく、 「加瀬さん、本当にありがとうございます。雪が降っているのに、加瀬さんがすぐ警察に行きましょう、と言ってくれなかったら、明日ではこういう結果にはなりませんでしたよね。心から感謝します」 タキシム広場のすぐそばの、彼の泊まっているホテルの近くに車を止め、ポリスのムスタファさんとXさんがホテルに行ってレセプションでコピーを取って貰う間、もう1人のポリス、アフメットさんが、コピーを受け取ったら私を家まで送ってくれると言うので待っていた。 しかし、あ、そうだわ、祝杯を挙げなきゃ、とポリスに送って貰うのは断って、1時過ぎにXさんとタキシム広場を横切りトゥルンジュ・パンパンに出かけて行った。 雪は幸い少し小止みになっていて楽に歩けた。タキシム広場を横切る時、Xさんが面白いことを言った。 示談成立と言うことで、警察を出るときZ氏から握手を求められたXさんに、この常習ぼったくりナイトクラブの経営者はいみじくも言ったそうな。 「お兄さん、これからは、バーやナイトクラブで飲むときは充分気をつけなさいよ」 「あっはっは、そんなこと、あんたにだけは言われたくないよ、と思いましたね!」 私も笑いながら、Xさんが朗らかさを取り戻して明るい声で話すのを聞いて、自分も報われたと心から思った。 トゥルンジュ・パンパンではもう客がいなくなっていたが、ホテルを出る前に電話したので、私達を待っていてくれた。末っ子のオカンは夕食の時、私達のテーブルを担当していて、雪の中を歩きで出かけていく私のことをずっと心配してくれていただけに、このいい結果を聞いてたいそう喜んでくれた。 何か一つやり終えた時の乾杯は、一味違います。 今までもトラブルに巻き込まれた日本人のために、こういう形で何度も夜の夜中に警察に同行したり、通訳したり、果ては女性なら家にも泊めて面倒を見てあげたことは数限りなくあるが、お礼を貰った覚えはほとんどない。 逆に、自分の不注意で男にだまされた女が大威張りで、警察に頼まれて駆けつけるまで見ず知らずだった私に、あれやれ、これやれと用事を言い付けたりする。ちょっとちょっと、私はあんたの召使じゃないわよ。日本人女も質が悪くなったね、誰に物を言っているんだ、と呆れてしまう。助けてやって損した、と思うことすら。 しかし今回、Xさんは警察に行ったらスーパーマンみたいなお巡りさんが現れて、あれよ、あれよと言う間に相当なお金が戻ってきたこともあり、私に通訳としての日当の2倍の額を包んでくれた。助かった~、猫の餌代。 それと同じくらい、いやそれ以上に嬉しいのが、彼がこの件でトルコ嫌いにならず、また休暇が取れたら、今度はゆっくりイスタンブール見物に来ますよ、そのときはまた一緒に飲みましょう、と言ってくれたことである。 どこの国でもそうだが、悪い人間だけで構成されている民族なんか一つもない。創造主である神様はちゃんと平等に、どこの国にも同じように大勢のいい人と、少数の悪い人を配してくれているようだ。 悪い人がいるからこそ、いい人がなおくっきりと浮き出てその良さが分かるわけで、世の中は本当によく出来ているなあ、と感動してしまう。 トルコだけのことではなく、ぼったくりバーなどは世界共通である。 どうか気軽な一人旅、と言っても油断せず、初めて出会ったばかりなのに「飲みに行こう、いいところを知っているよ」などと誘う人間の言葉に惑わされないでほしい。 なお、この話は、Xさんがこのようなぼったくり事件を少しでも減らすために、自分に起きたことを、私のブログやFacebookで詳しく書き、世間の人に知ってほしいと自ら掲載を望んでくださったので、ドキュメンタリー風に経過を追ってご報告しています。 現実にはそういう店からはなかなかお金を取り戻すことは出来ず、誰にも言えず泣き寝入りをしてしまう人が大半なのですが、勇気を持って警察に届け出ることが犯罪を減らすことに繋がります。 参考までに: カメリア・ナイト・クラブ ジュムフリイェット通り(タキシム広場からまっすぐにメジディエキョイに行く通)のハルビエの交差点より少し先の左側。ラマダホテル(五つ星)の少し手前。近くに軍事博物館があります。 そのあたりをエルゲネコン・マハッレシ(地区)といい、大同小異の店が沢山あります。 なおその近辺は両替屋ですら、タキシム広場で1万円=245TLくらいのレートの時、195TLなどという数字を平気で掲げているので、騙されてはなりません。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2016年02月01日 18時09分38秒
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