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カテゴリ:やってよかった/やらなきゃよかった
【2月8日・月曜日】 美由紀さんのプレゼントで、舌触りもまろやかなひよこマメ豆腐を夕べと今朝続けて食べたら、ひどく風邪を引いたあとなのにずっと気分が爽快になった。それでも体調が今一つ思わしくなくて、今朝は薄いお粥を食べた。 この前の事件で悪い風邪をひいてから、胃も疲れ気味で、 ひよこ豆豆腐と透けて見えるような薄いお粥が丁度いい。 このあと1日2日家で静かにしていなければ本調子が戻って来るのが遅くなるだろうな、いましばらくぼったくり事件がなければいいけど・・・と思った途端、電話が鳴ったので知らない番号だったが出て見ると、ベイオール警察支署のセイットさんというポリスからだった。 またまたぼったくり事件のようで、被害者のご当人に電話を代わって貰い、 「通訳として警察から私の出動を要請されましたが、被害届を作成し、訴訟事件として検察に書類を回すところまでを通訳します。そうするとあなた様から日当を頂くことになりますが、よろしいでしょうか?」と聞いて了解を得た。 パソコンで書きかけの書類を閉じ、その警察ではチャイなど振る舞ってくれないので、調書作成の警官達や被害者の青年への差し入れに、少し前にカプジュのオスマンに買って来て貰ったばかりのミカン1キロ入りのビニール袋を提げて、胸突き八丁のきつい坂を上り約束の時刻12時15分に間に合うよう警察に行った。 P青年はヨーロッパのとある国で勤務する日本の商社員で、事件に遭遇したのは昨年12月3日の夜、翌日は勤務地に戻らなければならず、保険を請求するために被害届が必要で、夕べ改めてイスタンブールに来たのだそうだ。 被害額はクレジット・カードで支払った飲食代の1,500TL(トルコリラ、昨年12月3日のレートで、6万2,735円)と、そのあと使途不明の4,500TL(同じく18万8,205円)の引き落とし額が記録されており、合計6,000TL(約25万940円)にも上るのだった。 事件後、彼が日本のクレジット会社から取り寄せた当日の出金記録によって、同じ店から二重に引き落とされたことは間違いなく、しかもクレジット会社の説明では、店では何らかの方法で彼の入力した暗証番号を読み取っていたらしい。 飲み代の1,500TLのすぐあと、15,000TL、12,000TL、10,000TL、そして5,000TLの4回、入力があり、いずれも持ち主の設定した1日の限度額を越えてしまうので引き落とし出来ず諦めたようで、最後に入力した4,500TLは限度内だったため、引き落とされてしまったらしいのである。 何と悪質な手口だろうか。P青年は店を出る前に、入り口のレジに行って、カードを差し出し、カード・マシンに暗証番号を入れるとき、周囲に数人いて、誰が見ていたかは分からないが、彼自身はその辺りの椅子に座って待ち、カードと1,500TLのレシートが戻るまで2分くらいかかっている、と記憶していた。 カードをすぐに持ち主に戻さず、カウンターの内側で数回の試し入力をしていた可能性がある。客が特に疑いも持たず、おとなしく椅子に座ってカードの返却を待っていたので、慌ただしく窃盗行為をしたことは間違いなかった。 警察側は被害届を書いている最中、刑事さん達がこの被害者に、夜まで待っていればその店にバスク(圧力をかけること)に行ってやる、全額でなくても取り戻す希望はあるから、飛行機を明日の朝まで延ばしなさい、と言った。 警察としては、被害者が勇気を持って被害届を出すことによって、裁判になると分かれば、悪徳業者に恐れを抱かせることも出来、場合によっては超法規的措置でお金を取り戻してやれる、ということを彼に説得したいようだった。私は彼にありのままを伝えた。 しかし、P青年は「私は保険から全額返ってくるはずですから損害はありません。そのまま訴訟に回して下さい。なにがあっても明日の朝、仕事に遅れることは出来ません」と警察官達の勧めを振りきって立ち上がり、警察署を出たのだった。 彼が空港に向かうまで少し時間があった。私はこの件についてはもう一度、トゥルンジュ・パンパンのライフさんに相談してみよう、と思い、彼の店にP青年を伴った。 「おやおや、昨日の今日でまたかい?」とライフさんもびっくりしたが、私がわけを説明すると、それだったらやっぱり明日の朝一番の飛行機に変更して、今晩が勝負なので残りなさいよ。我々も出来る限りの力を尽くして、お金がなるべく多く戻るようにしてあげましょう」 ライフさんもそう言って説得に努めてくれたが、P青年の決意は変わらず、私が、航空会社に電話とかメールでリコンファームしておいた方がいいのでは? と勧めると「そこまでしなくて大丈夫ですよ、今どき空いていると思いますから」と、笑いながら立ち上がった。 「私の日当はどうなりますか」 「保険から戻ったら振り込みますよ。さっき書いた僕のメールアドレスにあなたの銀行の口座番号など知らせておいてください。じゃあ・・・」と言いながら、P青年はタキシム広場の向こうのシャトルバス乗り場に急いだ。 おやおや、たいへんお世話になりました、の一言もなく、全部自分の土俵で仕切るのね、と私は、青年と飲んだコーヒー代を払いながら、少しの間ライフさんと話しこみ、薄暗くなってきたので家路を急いだ。 しかし、彼は交通渋滞に巻き込まれて飛行機を逃すような気がしてならなかった。家に戻って猫の餌をやり、夕飯のために1合だけご飯を炊いた。 そこに電話がかかって来た。やはりP青年だった。渋滞はそれほどひどくなかったらしいが、国際線のルールで90分前までにチェックイン、あるいはオンライン・チェックイン、あるいはリコンファームがなかったので、その席は他の人に回されてしまい、満席で乗る場所がなかったのだそうだ。 「ですから僕、タキシムに戻ります。あの店の店長さんに、やっぱりさっきの話を進めてくれるように頼んで下さい。今晩泊まるのでどこか宿を手配しておいてください。それと通訳の続きをお願いします」 「Pさん、やっぱりあなたはお金を取り返しに戻ってくる運命でしたね。じゃあ、8時頃会いましょう」 私は炊きあがったご飯を冷まして大きなおにぎり2つと、ちょっとしたおかずを作って弁当を拵え、彼のために持って出た。 8時ちょっと過ぎた頃、彼は店に現れた。するとネットで見つけた近くのホテルに荷物を置いて来たと言う。私も今度は話が長引くだろうと踏んで、まだホテルの予約を入れていなかった。多分、ホテルでゆっくり横になる暇もないだろうと推察していたのである。 店長ライフさんは例の友人ウールさんを呼んだ。ウールさんは私の想像するところ、仲裁屋とでもいおうか、トラブルが発生すると呼ばれて話し合いで円満解決に持って行く、夜の世界の必須アイテム「ネゴシエーター」らしかった。 最初にぼったくりナイトクラブ側は、即刻2,000TLを返す、と条件を提示した。私はこの4,500TLは純粋に横取りされたものであるから、4,500きっちり耳を揃えて返す以外は受け付けないと言いなさい、とP青年に言った。 今の私は只の通訳ではなく、いうなれば同胞であるP青年の親か保護者なのだった。2時間くらい後、ぼったくりナイトクラブの社長までがやって来て、全額返すから警察に行って、訴訟を取り下げて来て欲しい、と頼んだ。そして4,500TL相当のドル札など交じりに現金をライフさんに預託した。 10時過ぎにP青年を伴って警察に行くと、担当刑事さん達がかんかんに怒って「P君、あんたはヨーロッパに帰ったはずだろう、何でこんな時刻にここにいるんだ、もう昼間の訴えは検察に回したから立件されて、近いうちに第1回の調停が行われる。そこで訴えを取り下げると言うしかないな、さあ、もう用はないはずだ、帰った、帰った!」と剣もホロロ、仕方なく私達はトゥルンジュ・パンパンに戻ることになった。 するとぼったくり社長は今度は弁護士を呼び、11時過ぎ、弁護士がやって来た時点で私にもう一度行ってくれ、と言うのだった。実は先ほど一度帰宅した時に測ったら37度2分と、また微熱が出ていた。 こうして家から警察、警察からトゥルンジュ・パンパン、また家に戻り、そして再びトゥルンジュ・パンパンにやって来て警察まで往復、これらの全てがタクシーに乗れない急坂のベイオールの細い横丁の行ったり来たりなので、足腰に響いてしまい、夜も遅くなってまた警察まで往復すると言うことに、とうとう音をあげてしまった。しかもそれも残業代など誰もくれないからサービス労働である。 幸い弁護士が英語を話せるので、P青年も今度は大した話をする機会はない筈なので、私はトゥルンジュ・パンパンに残ることになった。ぼったくりナイトクラブの社長が何かと私に話しかけて来た。 「今度、あなたを家へ一度ご招待したいなあ。そうだ、Facebookやっていますか」 冗談じゃあないよ。悪い奴だと分かっていて誰が友達になどなるものか。 訴訟取り下げ請求は難航している様子で、11時頃に出て行った弁護士とP青年が戻って来たのは午前3時に近い頃だった。それでもさすがに弁護士が行っただけのことはあり、訴訟は取り下げられ、P青年の被害届も無効になったので、保険会社に請求することもなくなった。 私は時間的には2日も働いたことになるが、約束通り1日分の日当を貰い、P青年はライフさんとネゴシエーターのウールさんに、取り戻して貰った額の1割程度をお礼に渡して、もう朝4時半か5時のバスでタキシム広場から空港に向かわなくてはならないのである。 最後に彼はビールをご馳走してくれたが、あくまでも彼らしい感想を漏らし、「ホテルを無駄に取ってしまいましたよ。もったいなかったなあ」とぼやきながら出て行った。 前日のお昼に、1本の電話で警察に駆け付け、一度家に戻ったもののすぐまた被害者が戻ってきた。すると延べ13時間以上この仕事に関わってしまったことになる。なにしろ1日分の日当は貰ったが、何だか前2回のぼったくり事件に比べると、「手伝ってよかった」感が乏しい気がしてならなかった。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年03月09日 03時50分39秒
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