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【2月9日・火曜日】 まだ1月末のことだったが、古き良き友、松川澄子さんが「加瀬さん、近いうちにお会い出来る? 実は日本から定期的に見えるいつものお客様が、今回たくさん和食の材料を持って来てくれたので、お分けしたいと思っているんですよ。どこかで逢いませんか?」と言ってくれた。 「それとも、うちに来られる日がありますか? いつもお忙しそうなので今日、明日じゃなくても大丈夫よ。もしおいでになれる日があれば、一つお願いがあるんですけど」 「澄子さんのお願いなら喜んで・・・、何ですか、お願いって」 「実はうどんをたくさん頂戴したので、一度それをあなたに味付けをお願いして、ご一緒に食べられたらいいと思っているんです。懐かしいかせレストランのあの味で・・・」 えええ? うどんを私の味付けで? もとより私は二つ返事で引き受け、来月の9日に行く約束をした。それが今日である。昨日はぼったくりナイトクラブでお金をかすめ盗られたP青年の盗まれた全額を取り戻す手伝いをしたのはいいが、朝3時半近くに帰宅したので、寝たのは4時だった。 それでもいつものように朝6時のNHKニュースをテレビで見て、今日また半日以上留守になるので、朝のうちにメールの返事書きや、3月下旬にもしかすると久々の通訳仕事が入る話になっていたので、昨日やるはずだったその件のリサーチについてあちこちに手配し、Facebookを覗いたりしながら朝食は簡単なもので済ませ、天気もよし、洗濯だけは外に干して昼から家を出た。 1時ころ到着して、お茶を頂いてからいよいよ煮干しや昆布や干し椎茸を戻して、削り節を使い本格的な出汁を取って、澄子さんと2人分のつゆを拵えた。 それが出来上がる頃澄子さんがうどんを茹でて、朝のうちに作ってくれたボレッキや鶏肉の炒め物なども出してくれた。そしておやおや、ビールまで。 出来あがったうどん。器も素敵です。 澄子さん。私が最初のかせレストランを開いた頃からの友達 この頃は世間でもこういう撮り方も主流となってきているので上手になりました。 何しろ大きな丸テーブルです。向きあって座るとこんなに遠い。 70歳過ぎてもこれだけ出来るなら、上等、上等 かつては1杯位ずつビールも飲み交わしていたのだが、澄子さんが去年胃病を患い、今はアルコールを断っているので、私にだけご馳走してくれたのだった。 自画自賛になってしまうが、澄子さんが「わア、美味しいわ、加瀬さ~ん」と喜んでくれたほどなので、自分でも満足の行く出来だった。 食後はゆっくりとお喋りし、4時少し前暇乞いした。玄関先に私への土産を取りそろえ、かなり大きな袋に詰めておいてくれたので、遠慮なく頂いて帰った。 外で流しのタクシーを拾うつもりでも待てど暮らせど来ないので、仕方なく急坂を帰りにはずっしりと重くなった荷物を提げて、えっちらおっちらと上り、タキシム広場行きのドルムシュ乗り場までやってきた。 タキシム広場についたあと、朝方3時までいたトゥルンジュ・パンパンのライフさんに挨拶に立ち寄った。彼は普段お父さんのスッルさんと共に10時頃には店に来て、開店準備をする。そのために前夜も12時前には帰宅していたので、顛末を詳しく知らなかったのである。 小ジョッキ(33dl)を頼んだら、「じゃあ、夕べは、と言うより、今朝はたいへんだったね。ゲチミッシュ・オルスン。これは私からだよ」と言いながら、私の前に置いてくれた。 1杯だけご馳走になり、礼を言いながらチップを5リラ置いて席を立った。出勤して来たばかりの末弟のオカンが「もう行くの?」と言うので、「また来るわ、きっと」と言ったら、「もう、ああいう事件で夜中まで働くことはないぞ。自分の体を大事にしなくちゃいけないよ」と荷物を持って店の外まで見送ってくれた。 私はトゥルンジュ・パンパンを出てすぐに、タキシム広場の一番高い場所から急坂を下って、チュクルジュマにまっすぐ通ずるソカクを徒歩で下ることになった。 もう1軒ユルマズさんの店に寄ることになっていたからだった。奥さんのナオコさんが子供2人を連れて日本に里帰りして来たので、私へのお土産を夫のユルマズさんが店に運んで来てくれたのである。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年03月12日 06時53分26秒
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