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カテゴリ:やってよかった/やらなきゃよかった
【6月10日・金曜日】 私がいつも総務課長とブログに書いているメフテル軍楽隊のメティンさんは、およそ10年ほど前からその職掌にあり、2010年の2月、日本のテレビ番組のコーディネーターとして、取材許可はどうしたら受けられるか、と軍事博物館に相談に行ったのが最初の出会い。 本来は取材日の1ヵ月以上前に、アンカラの陸軍参謀本部に書類申請しないといけないのだそうだが、もう既に現地入りしてから、取材中にディレクター氏が、「トルコ・コーナーの冒頭にちょっとだけでもいいんですが、あの軍楽隊の行進曲を映像入りで流せたらいいな、と思いついたんですよ。今日か明日、撮らせて貰えるでしょうか、加瀬さん」と言うのである。 撮影クルー3名は、あと1日しかトルコに滞在しないので、すぐに現場を私のアシスタント兼ガイド役で出演している日本語の上手なエリフ嬢に任せて軍事博物館にタクシーを飛ばしたのだった。 そしてメティンさんの部屋に案内され、なんと博物館長の大佐にすぐに相談してくれて、 瞬く間に許可を貰ってくれたのだった。取材に来るのが日本のクルーだと知ると、大佐のメティンさんへの信頼度が強く、その場でOKしてくれたのだった。 2015年にはエルトゥールル号の125周年にあたり、軍楽隊が5年ごとに日本に行く年である。メティンさんも日本に行く予定だったが、直前になって日本のスポンサーが人員の削減を要求してきたため、メフテル軍楽隊はエルトゥールル号の慰霊祭に行くにしてはややさびしい50何人かの編成となって出かけて行った。 軍楽隊の留守中にメティンさんを訪ねると、浮かない顔で「私も日本に行きたかったよ」とぽつりと漏らしたので、「大丈夫よ、定年退職になったらゆっくり行けば?」というと、彼はムキになって答えた。 「仲間と一緒に行かれるからいいんじゃないか。定年後、1人でなにしに行くの」 ところがそれから幾許もなく、デニズさんと彼の執務室で話をする機会があり、 「いやー、加瀬さん、日本はよかったですよ。東京はものすごくきれい。日本人も素晴らしい。みんな上品で親切です。私はいっぺんに日本と日本人が大好きになりましたよ。これからちょくちょく日本の話をして下さい。」 「メティンさんは置いて行かれてしまったって、不服そうでしたよ」と私が言うと、 「ケシケ、彼もいっしょに行けたらよかったのですが・・・」とデニズさんもいい、それから真顔になって、デニズさんは仲のいいメティンさんのプライベートな部分をちょっと私に説明し、「加瀬さんのお知り合いの中にいい人がいたら紹介してやってください」と言うのだった。 「あら、じゃあ、2人であの人を結婚させることにしましょうよ」 「いいですね、お願いします、加瀬さん」 そう話したのが去年の8月のある日のこと。私にはひとりだけ、あの人なら、と思える人が脳裏にあった。 デニズさんと話をした2ヵ月後、私は細工は流々仕上げをご覧うじろ、とばかりに朝のうち、メティンさんの写真を1枚、カッパドキアに1人で住んで、宝石店に勤めているノリコさんに送り、電話をかけた。 「ねえ、この人どう思う?」 「ええ、どなたですか、なかなかハンサムな方ですね」 「この人はねえ、メフテル軍楽隊のメティン総務課長よ」 「あ、ブログでお名前をよくお見かけします」 「いま、私がどう、この人と結婚しないか、って言ったらする気、ある?」 「ええー!? 私がいいと言っても先方が何とおっしゃるか。メティンさんはもうご存じなんですか、私のこと。」 「いや、まだ全然知らない。でもあなたを紹介したら駄目とは言わないと思うわ」 「まあ~、加瀬さん、私は昼行燈みたいにぼ~っとした人間なんですけど・・・」 「謙遜しなくていいから。彼の人物はメフテル・バシュのデニズさんと私が保証するわ。身分は軍隊が保証しているし。じゃあもう、出かけて決めて来るからね」 「余りにびっくりするお話で、何と言ったらいいのか分かりませんけど、じゃあ、お任せします。どうぞよろしくお願いします」 これが去年10月12日月曜日のこと。軍事博物館は月・火が休館日で、あまり事務もないし、忙しくないだろうと踏んで出かけて行ったのだが、退職希望者や年次休暇希望者があってその書類手続きをしていてメティンさん自身は多忙だった。 私は話を切り出した。彼にとっては寝耳に水、いままでひとこともノリコさんについて匂わせたことすらない。 するとメティンさんは、本当は内心期待していたのではないかと思うほど、首の後ろまで赤くなった。普段、妹のように可愛がっているメフテル・コスチュームの縫製技師、トゥーバさんを呼び、私と話をさせ、自分は書類作成に専念していたが、やっぱり心ここにあらずで、ちょっと打つとすぐに手が止まってしまうのだった。 トルコのいいところは(悪いところとも言えるのだが)、執務中に私事であるこんな話も大っぴらに出来ると言うことだ。トゥーバさんもおっとり刀でやってきて、私のそばに座り、メティン・アービイ(兄貴)の一大事なので真剣に話を聞いてくれた。 私はまずFacebookでノリコさんの写真を見て貰った。メティンさんの目が輝いた。 「加瀬ハヌム、すごくよさそうな人じゃないの。きれいだし。私がメティン・アービィに代わって彼女と電話で話が出来るかしら」 「もちろんよ。じゃあお願いね」と私も携帯をトゥーバさんに差し出した。 10分くらい話していただろうか。電話を切ってトゥーバさんは私に「いいね!」と言う風に右手の親指を立ててウィンクした。 「メティン・アービイ、ちょっとそのキーボードを打ってるんだか打ってないんだか分からない手を止めて、私の言うこと聞きなさい。この人を逃がしてはいけないわ、あなたにピッタリよ。私もほんの少し話しただけで人柄がよくわかったわ、加瀬ハヌム、凄いわ。メティン・アービィのために素晴らしい人を見つけてくれてありがとう!」 トゥーバさんは大きな両眼に涙さえ浮かべ、私とまず抱き合った。メティンさんが振り向き、2人も抱き合って大喜びだった。 その晩約束どおり、メティンさんがノリコさんに電話をかけ、2人は夜2時間ほど話し合って意気投合したのだそうで、メティンさんのプロポーズにノリコさんも即座にOKしたと言う。11時過ぎ、メティンさんは私にも電話して来て言った。 「加瀬ハヌム、マネヴィー・アンネム(私の心のお母さん)、あなたに最高の感謝を捧げたい。私は必ずこの人を幸せにします。あなたのしてくれたことに対して誠実に振る舞い、彼女となるべく早く結婚して、生涯大事にするという決意をお伝えします、ありがとう、ありがとう」 私も男らしいメティンさんの言葉に思わず胸が熱くなった。翌朝、私が彼の上司のムラット中佐と、デニズ少佐にメッセージでこの件を知らせると、どちらももう「聞いています」という返事。水曜日にメフテル軍楽隊のコンサートがスタートするので博物館の奥のメフテル棟に行くと、同僚から兵卒までみんな知っていて、寄ると触るとその話で持ちきりだった。 彼らは11月1日のメティンさんの誕生日に初対面を果たし、その後12月26日のノリコさんの誕生日には、ダイヤの指輪を携えたメティンさんがカッパドキアのノリコさんを訪れ、正式に婚約を交わしたのだった。 この度、10年ぶりの転勤命令で、メティンさんははるか遠い駐屯地に行くことになったので、急遽式を挙げて正式に入籍したのだが、彼が2年後に定年退職するまで、しばらくの間は通い婚が続くらしい。大変だけど新鮮さが長持ちしそうだから、それもちょっといいかもしれない。 かくて本日、私は軍事博物館の送迎バス2台の一つに乗せて貰えることになった。大佐と中佐の乗った乗用車に続いて、デニズ少佐が自分の乗るバスに迎えに来てくれた。往きは45分足らずでアヴジュラルの区営の結婚式場に着いた。 このカップルにはメフテル軍楽隊の仲間達など、およそ30人くらいが参加して、トルコ共和国式のあっさりとしたシステムの式場で、赤い法服を来た女性の司会で滞りなく決まり事を済ませ、2人は正式に結ばれることになった。 結婚式の証人は4名、軍事博物館の大佐と中佐、トゥーバさんの夫フュセインさん、そしてメティンさんの新しい任地の司令官が夏の略衣の制服で参加し、式は20分程度で終わり、階下に下りて祝いのタクの儀式(カップルの胸にかけたリボンにお祝いの金貨やお札をピンでとめる儀式)に移った。 式場内と下の階のロビーのタクの儀式では、契約している写真屋以外は撮影禁止、何も写させてくれないのだった。ちょっとだけ下で式の始まる前に撮っておいて本当に良かった。しかし、今はたいていのところでこういうシステムなので、自分で写した新郎新婦の写真がない場合が多い。 新郎新婦は再婚同士、二度目の春をこれからゆっくりと味わって貰いたいと思う。 お2人がどうぞいつまでも幸せでありますように・・・ 待合室に挨拶に出てきた新郎新婦。 ノリコさんのシンプルな花嫁衣装が素敵です。嬉しそうなメティンさんを見て私も嬉しい。 結婚式までなにかとメティン・ノリコ・カップルの面倒を見てくれたトゥーバさんと、 娘のヌーランちゃん。6月24日でメティンさんが異動になってしまうので寂しそうです。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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