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カテゴリ:トルコと日本と世界の出来事
【6月28日・火曜日~29日・水曜日】 とうとう恐れていたことが起こってしまった。イスタンブールの空の玄関、アタテュルク空港に夜10時前後に3人の自爆テロリストがタクシーで乗り付け、持参の自動小銃で空港警備のポリスを襲い銃撃戦になった直後自爆して、ポリス、空港職員、旅客、ツーリストの別なく大勢の犠牲者・負傷者が出てしまったのだった。 私はこのところ続いている翻訳仕事をしていて、夕方7時半頃、内外の猫達の餌をやったり自分の夕食の支度をし、食後猫達のトイレを掃除したり台所の後片付けをしたりしたあと、10時半頃少し夜なべをしようと、消してあったテレビをつけ、NTVニュース局にチャンネルを合わせてパソコンの前に座った。 すると消音にしてあったので気付くのが遅くなったのだが、画面が2分割されていて、左側ではリポーターがわめくように何かを喋り、右側ではいつも見慣れたアタテュルク空港のゲートの奥が映っていて、後から後から救急車が到着する、という、何か起こったらしい慌ただしい状況だったのである。 テロップでアタテュルク空港でテロの襲撃と出ていたので、慌てて音声を普通に戻した。その下には、10人のシェヒット(殉職者)が出て、20人が病院に搬送されたと書いてある。 ドッキーン、と胸が大きく凹んだような気がした。大変、一大事だ、すぐに娘に知らせなくては、ああ、でもまだ日本は朝5時前、私は留守電に吹き込んで娘にイスタンブールの急を告げた。 パソコンを立ち上げメールを開いてみると、イスタンブール総領事館からも緊急のお知らせが入って来ていた。 7月にイスタンブールに来ることになっているロンドンの友人に電話すると、まだ事件は知らずにいたとのこと、15分ほど話をしてからもと軍楽隊のメティンさんとも電話で話した。その後日本にかけ直し、娘にいきさつを知らせた。 29日に日本を出てイスタンブールに来る一行があると言う話だが、その時点では29日いっぱい、空港は離陸も着陸も禁止されたのだった。ただし、この通達は午前3時には解除され、通常通り運航されることになったようである。 娘と12時過ぎに会話をした後、そのときはまだ、FacebookやTwitterは見ることが出来たので、私もFacebookから友人達に無事であることを一斉通知し、非常に気になっていた空港のシャトルバスの発着主任のアブデュルラフマンさんの安否を調べたら、彼の奥さんが無事であることをFBに投稿していたので、ほっとしてメッセンジャーで「ゲチュミッシュ・オルスン」と見舞いの言葉を書いた。 すると間髪をいれずに彼から返事が来て、「ありがとう、あと1~2秒逃げるのが遅れていたら危なかったのです」と言う。私は彼の無事を神に感謝して近々また会う約束をし、そのあとすぐに、FBの画面にこの呪わしい事件のことを書いたら、日本からもまだ起きているらしいトルコ在住の友人達からも次々にお見舞いと無事を喜ぶコメントが寄せられた。 日頃滅多に会えない通訳・翻訳仲間のタカコさんには、彼女がコメントを書き込んでくれた時点で、すぐ電話して2人でかつてない不気味さと悲しさに、話しているうちにどちらも声をあげて泣いてしまった。 どうしてイスタンブールばかり、こうも狙われるのか、彼女も私も骨を埋めてもいい、と思うほど、故郷と同じくらい愛する街のこの不幸な状況を嘆きあった。話をしたことで幾分元気を取り戻したタカコさんと、落ち着いたら会いましょう、と約束して電話を切った。 そのあとも、たくさんのチャットが入ってきたり、真夜中でも私が起きているのが分かり電話をくれる人々もいた。午前3時、出先から急遽イスタンブールに専用機で到着したビナリ・ユルドゥルム新首相が記者会見を開き、事件を解説した。 その時点で、犠牲者は36人、負傷して病院に搬送された人は147人と、アタテュルク空港開設以来、未曾有の大惨事となってしまったのである。 トルコにとってイギリスのEU離脱どころではない、未曾有の国難に遭遇している、と言っても過言ではないのだった。 3時半、またパソコンの前に座り、翻訳出来なかった時間を徹夜で取り戻すつもりだったが、寄る年波には勝てず、眼も頭もジンジン痛み、やはり寝てしまうことにした。 その時点ですでにFacebookとTwitterは閉ざされてしまい、今朝、私は長いことろくに書けないでいたブログの下書き帳(マイクロソフト・ワード)を開いた。 今日は午後一番で家を出て、居住許可証関係のことで動かなくてはいけないので、午前中に少しでも翻訳を進めたいと思ったのだが、頭痛がひどくて一旦5時半に起きたものの、7時からまた横になって目を閉じた。 やらなくてはいけないことが山のようにあるのに、なぜこうして次から次へと私が仕事の出来ない状況に陥ることが多いのだろうか。幸い翻訳の原稿はもうあと残りが見えて来ているので、もちろん頑張って仕上げるつもりだが、とにかく責任を果たすのは容易なことではない。 さあ、出かける支度をしなければ。 この記事を終わるにあたって、犠牲になられた皆様のご冥福と、負傷された皆様の一日も早いご快復を、心からお祈り申し上げます。 このところ、4度のテロに襲われたイスタンブール。悲しみの癒えるときがありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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