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【7月28日・木曜日】 5月下旬に、翻訳の一部を手伝ってくれることになった七緒さんと、「翻訳が終わったら、美味しいものを食べて、ゆっくりとメフテル軍楽隊のコンサートを観賞しましょう」と約束していたのが果たせる時が来た。 去年の夏に知り合った、イスタンブール大学法律学科の先生、アイシェさんにも連絡してみると、ぜひともご一緒に、と言ってくれたので、昼にはうどんやさんで待ち合わせし、腹ごしらえしてから博物館に行こうと言う話になった。 うどんやさんでのお昼。私はこのところ、アボガドの巻物に凝っています。 私達3人は5月5日に、日本から来ていた冨岡伊久子さんと一緒にコンサートに参加し、又機会を見て観賞しましょう、と約束していたのだった。 2週間前の7月15日の夜にはクーデター未遂と言う、トルコにとっては一大事件が勃発したものの、数時間後には鎮圧されて、軍事博物館では先週からいつも通りメフテル軍楽隊のコンサートが、何事もなかったかのように厳粛に開催されていた。 20日から発効された「OHAL(非常事態)」の期間中でもあり、外部からの訪問者はメフテル棟に入れなくなったので、今日は舞台に立たないと言うデニズ少佐が、自ら私達のいる席に出向いて来てくれた。 七緒さんはもう、メフテル紹介映画が終わって、スクリーンになっていた正面大扉がするすると開き、中庭に勢ぞろいしたフルメンバーの軍楽隊を見た途端に感動して、思わず涙ぐんでしまったそうな。パレードで近づいてくる軍楽隊を見ると、私も「ああ、コンサートがこうして見せて貰えるだけでもよかった~」と胸をなでおろした。 総勢53人くらいのフルメンバー。久々にフルメンバーを見ました。壮観です。 キョスゼン(大太鼓)はシェラフェッティンさんです コーラス隊は10名です。この赤いコスチュームがことさら素敵です。 本当はそれどころの話ではないのだが、毎日同じ光景が同じように見えることが、すなわち平和のしるし、人々の暮らしにはとても大切なことである、と再認識した。 しかし、全知全能全権のトルコの最高司令官のツルの一声で、半世紀近く「ボアズ・キョプルス(ボスポラス海峡大橋)」としてトルコ国民から愛されて来た通称第一大橋は、「オンベシ・テンムズ・シェヒットレル・ヴェ・ガージレル・キョプルス(7月15日殉職者・戦傷者達の橋)」と言う名に変わった。長過ぎて覚えきれないや。普段、なんと呼べばいいのだろう。 さてコンサートの後、階下に降りる階段の踊り場の脇に、メフテル・カフェがあり、デニズ少佐と、今月から新たに赴任したメフテル・バシュ補佐官チェティン曹長が送って来て、そこで私達に席を勧め、コーヒーをご馳走してくれたので、40分くらい歓談出来たのが嬉しかった。 今は4時半に閉館らしく、4時半には席を立ち、カフェから出てまた長い長い廊下を歩き、とうとう本館の出口のところまで送って貰い、名残惜しいながらまたいずれお邪魔します、とお2人とそれぞれ握手して別れ、私達は前庭に出た。 「声をかけて頂いてよかったわ~、ほんと、生き返った思いです」とアイシェさんが言い、それは私も同様で、もちろん七緒さんもこの日を待ちわびていたので思いはみな同じだった。軍事博物館から歩いてタキシム広場の方に2~300メートル行くと、店の奥にバフチェ(庭)のあるカフェがあり、そこに入った。 ここでも2時間近く、レモネードとケーキでお喋り。アイシェさんが、七緒さんから戻ってきた小著「犬と三日月 イスタンブールの7年」を読みたいと言ってくれるので、お渡しした。 さっぱりと美味しい自家製レモネード。スイーツも秀逸でした。 7時を過ぎたので、七緒さんは家族の待つ家に、私も猫達の待つ家に、アイシェさんは残業が待っている職場に戻ることになった。どの人の心にも、今後のトルコはどうなって行くのか、テロは外から来るもの、しかし、内なる、大衆を心酔させる「デモクラシーの番人になろう」と言うのは、本当に言葉通り作用して行くのだろうか。 トルコは今、とても難しい分水嶺に差し掛かっている、としか思えない。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年08月03日 02時25分55秒
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