|
カテゴリ:トルコと日本の文化交流
【10月7日・金曜日】 夕べ遅く、アンカラ在住の箏演奏家、末冨敦子さんからお便りを頂き、1日2日前にご自身のオフィシャルサイトに「日本とトルコの友好のために、合同でコンサートを開きたいと希望していますので、これについてご意見を伺えれば幸いに存じます(要約)」という内容のメールを、さるメフテル軍楽隊員の方から受け取ったのだそうで、私にこの件について問い合わせて来られたのだった。 私もびっくりした。たまたま今日そのメフテル隊員に、別件で用事があって軍事博物館に行くことにしていたのと、実は私もメフテル軍楽隊とお箏の皆さんが一堂に会して、合奏なりレパートリーの交換演奏が実現したらとても素敵だと常々思い、メフテル軍楽隊長デニズ少佐との間には、チラッとそう言う話題も出たことがあるので、夢物語に終わらせないためにも、近いうちにこの話の基本的な企画を立てて、実現のために必要なリサーチをしたいと思っていたところだった。 イスタンブール在住の日本女性達が、末冨敦子先生のトルコでの最初の弟子である、ワカコさんの指導で箏を習い始め、2010年「イスタンブル芙蓉の会」を結成した頃から応援しているうち、皆さんめきめきと腕をあげて、難度の高い曲もマスターし、今では日本関係のいろいろな行事にひっぱり凧の素晴らしい存在となっている。 私はまだ自分の夢想の段階から出ていないメフテル軍楽隊とイスタンブル芙蓉の会、そしていずれは本家本元の末冨敦子先生をもお迎えしての共演などについて、ワカコ先生や敦子先生にも相談し、こちら側はメフテル軍楽隊の命令系統に準じて、デニズ少佐に上奏し、ことを進めて行きたいと少しずつ考えをまとめていたが、7月15日にクーデター騒ぎが起こって以来、少佐のところにそう言う話を持ち込む機会が一時的にもせよ、途切れてしまっていた。 勇敢にも敦子先生に単刀直入に、この、共演の可能性の有無を尋ねた隊員ウミット・デミルさんは、昨年日本に行って以来、大の日本びいきになった人だから、全く偶然に同じことを考えていたらしく、私も考えていたことを電話で告げると、彼自身も驚いていた。 敦子先生からはウミットさんに丁寧なお返事を出して下さったようで、帰宅後読むことが出来たのだが私にも送って頂いたccには、「具体的なことに関しては、加瀬ハヌムともご相談なさってください」と結ばれていた。 ウミットさんは若いが経験も長いボルゼン(トランペッター)で、何事にも非常に熱心な人なのである。 私は今日、メフテル軍楽隊のコンサートに行く前に、七緒さんにも声をかけて見ると、彼女もしばらく翻訳仕事が入っていて、今日は納品してゆっくり出来るのでご一緒に伺います、と同伴してくれた。 2日前には非番で、ミチコさんやユジェルさんを案内した私をもてなしてくれたキョスゼンのシェラフェッティンさんが、今日は舞台に出ていて「オルド・マルシュ=軍隊行進曲、またの名をCeddin Deden」のとき、曲の演奏中大太鼓の右手のバチを高々と頭上に差し上げ、ぐるりと空中で一回転させる華麗なパフォーマンスを、2分23秒の間に全部で10回見せてくれた。 チョルバジュ・バシュとチェヴゲン(コーラス隊) シェラフェッティンさんの大技披露。右隣にボルゼン(トランペッター)のウミットさんも見えます。 メフテル・バシュのジェラール曹長。貫録があります。 ナッカーレゼンバシュ(小太鼓奏者のリーダー・赤い服)・ムサさん。22年前に飛行機で一緒でした。 戦闘場面を再現するときは、大太鼓は渾身の力でバチを打ち鳴らします。 最後にチョルバジュ・バシュ(本日ムラット中佐は休暇中)がご挨拶。 ウミットさんと初めての記念撮影。 今度は近くから。いい記念になりました。 七緒さんも私も大満足、ウミットさんと最後に記念撮影をして貰い、彼が着替えた後、カフェテリアでチャイをご馳走になってから、いずれ共演が可能になるように順を追って話を進めましょう、と約束し、ウミットさんと一緒に軍事博物館を出た。やっぱり今日も日土友好行事に関する話になった、と私は内心、予感が当たったので気をよくしていた。 今日は七緒さんも私も夜に来客の予定があり、ウミットさんもメトロへと、3人がそれぞれの方向に別れた。私がタクシーを拾おうと道端に足をとめた途端「加瀬ハヌム!」と声をかけた人がいて、振り返るとすらりとしたハンサムな青年がにこにこして後ろに立っていたのだった。つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年10月16日 00時03分23秒
コメント(0) | コメントを書く
[トルコと日本の文化交流] カテゴリの最新記事
|