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カテゴリ:これでいいのか、トルコ
【7月20日・木曜日】 Turk Telecom(トルコ・テレコム)という、かつては半官半民だった電話業者が、アラブ諸国のどことかに身売りしてから、トルコを名乗っているが実はトルコの業者ではなくなったため、人によっては「まるきり信用出来ない会社だよ」とはっきり言う人がいるのを、5月下旬に、Turk Telecomのやっているインターネット事業、TTNETに加入してしまってから初めて知った私。 約1ヵ月に渡り、連日3回も4回もしつこく電話をかけて来る勧誘に負けた自分が悪いのだから仕方ないと諦めたものの、いざ加入手続きが始まると勧誘の時に聞いた話とは大違いで、月額24リラでネットを提供する、と言った筈なのに、いきなりネットが繋がらないうちに、82.25リラという高額の請求書が来てびっくり、しかも今までのサーバー、Superonlineからは6月4日を以って「解約手続きを完了させました」というショートメッセージが私の携帯電話に届いた。 それと同時にSuperonlineのネット接続を切られてしまったのに、TTNETの方はまだ全然繋がっておらず、サービス課に電話しても不得要領なことしか言わず、その上、追い打ちをかけるように、罰金310リラを請求するショートメッセージが私の携帯にSuperonlineから届いたのだった。 契約をキャンセルすると月額の6ヵ月分以上の罰金がかかるなんて、どっちの会社も一言も言わなかったのに、これは何だ、馬鹿にしている、と友人まり子さんに話したら「由美子さん、じゃあ、私が一緒に行って抗議してあげる」と早速、6月8日に2人でTTNETのベイオール地区本部に掛け合いに行ったのだった。 4日から2週間余り続いたネットなしの日々は、まり子さんの協力もあってどうやらサービスマンが接続に来るところまでこぎつけ、ようやく6月17日(土)、日本から娘の来る前日に繋がったのだった。 ところが、82.25リラと言う、法外な値段を払う気は私になく、これについてもまたまり子さんが同道してくれたので、これを払った上に、Superonlineの310リラも払って、その領収書を、Turk Telecomのアンカラの本部にファックスで送らない限りは、TTNETと正式に契約したことにならないので、ディスカウントのサービスなどは受けられない、と窓口の人は、勧誘時にはまるで話しに出て来なかったことを言うのだった。 その女性職員は「家の近くに公共料金等支払いポイントがあればそこで支払って、領収書を持って来なさい」と言うのでいつも行く支払いポイントに行ったら「あなたの契約番号を入力しても、Superonlineにはあなたの借金はない、と出てきます」と支払いポイントの窓口の人が言う。 時計を見るともう銀行の営業時間を過ぎてしまっているので、また次の日出直すことにして家に帰って来た。まったく、こんなことで先月は何回、軍事博物館の少し先のオスマンベイにある、Turk Telecomのベイオール地区本部まで行ったり来たりしたことか。 次の日に銀行へ行って通帳を記入して貰ってみると、6月12日に既に自動引き落としでSuperonlineが私から罰金を徴収していたことが分かった。えええ? どうして私に無断で自動引き落としするんだ、Superonlineは! そこで銀行に頼んで、その項目だけを伝票に刷り出して貰い、それを持ってまたTTNETに行くと「これじゃあないのよ」と、あくびをかみ殺しもせずに私の目の前で大きな口を開けて、喉の奥まで見せながら女性職員は「フワッ、フワッ、フワッ」と息をした後、自分のところのA4用紙のファトゥラ(請求書)を私の目の前で振って見せた。 「こういうのよ、Superonlineからそれを貰ってくるのよ」 そこへまり子さんも来て「どこに言えばその請求書を貰えるんですか」 女性職員も前日来た時に、まり子さんがしぶとく食い下がるのを知っているので、またあくびをしながらメモ用紙に走り書きで、Superonlineの正式の領収書を、私の外国人キムリック(居住許可証の外人登録番号)を書き添え、Turk Telecomのアンカラの本部にファックスで送るように、とやっとちゃんとしたことを教えてくれた。 しかしこうまで堂々と、いちおうお客である私の前で何度も河馬みたいに大口を広げてあくびをするので、まり子さんはさっさと席を立ってしまったが、私は荷物や帽子を持つので一足遅れて席を立った。目の前の彼女には夜寝る前の挨拶、「イイ・ゲジェレル」と言って、内心、よくこれで会社をクビにならないものだ、と思いながらまり子さんを追って外に出た。 まだ昼の12時前である。まり子さんとメトロでタキシム駅を越え、シシハーネ駅で降りてイスティクラール通りに出、Turkcellという携帯電話会社の大規模店に行った。何年か前、Superonlineはその知名度を買われて、Turkcellと合併したのだった。 Superonlineは実店舗を持っておらず、店内の電話機から本部と通話出来るようになっていた。録音済みのテープで誘導されるままに、聞き取り上手なまり子さんがテープの案内に従って、いろいろ素早く入力して行く方法で、用事を済ませてくれた。 それが先週の金曜日(14日)、ところが今日は20日なのにまだSuperonlineからは、自宅あてに送るはずの310リラの領収書が郵送されて来ていなかった。 埒もない話をぐずぐずブログに書いても仕方ないのだが、書かないと毎日無駄足を運んでいる私の損失感が誰にも分かって貰えないので、仕方なく書いている。 さてさて、昨日までインターネットはとにかく動いていたのだが、今朝早く5時20分頃に娘から電話がかかって来て、 「お母さん、そちらだと夕べ遅くか今朝早くの時間帯に、エーゲ海のボドルムとか、ダッチャの辺りで地震が起きたんだって、知ってた?」という。 「ええ? さあ、私は夕べ人に頼まれた調べ物をしていて、今朝寝たのが3時頃だから、テレビを点けていなかったので知らなかったわ、すぐに起きてテレビを見て詳しいことを知らせるよ」 娘にそう答えて寝床から起き上がり、テレビを点けて見た。それは日付が変わって20日の真夜中、1時40分頃に起きた地震で、エーゲ海のリゾート、ボドルム沖のマグニチュード6.3の地震で、トルコのニュース各局は競って報道していた。 ボドルムの沖には、トルコ語ならイスタンキョイ島、ギリシャ語ではコス島と呼ばれるギリシャ領の島があり、ようやく賑わいだしたボドルムはじめコス島や周辺の夏の避暑地の人々を恐怖のどん底に陥れ、まだ余震があとあと続いているのだそうだ。 娘のEメールにそうしたことを書き送り、そのまままた6時の日本のニュースを見てから、眠さに敵わずパソコンを閉じて、寝床に逆戻りした。2時間半の睡眠じゃ、いくら私が丈夫でも無理よね。 1時間ほど寝て、洗濯物を干したり、台所の水につけてあった皿小鉢を洗ったりしてパソコンを開いてみたら、最初に自動的に出て来る設定の私のブログが「このページは表示できません」というお知らせのみで、メールもFacebookもTwitterも同じ知らせが出るのみ。モデムのインターネットの明かりが点いていないので、またまたネットが繋がっていないのだった。 午後2時過ぎに家を出て、一人でTurk Telecomのベイオール地区本部に向かった。番号札がまた昨日のあくび姐さんの窓口になった。 インターネットがまた切れてしまった、と言うと、82.25リラを払いましたか、と言う。同じ階の支払い窓口で払ってくれば、サービスマンを送ってあげますよ、17日が支払期限なのに、あなたが払ってないから罰則として止められてしまったんです、と言う。 えっ、たった3日遅れただけで、やっと繋がったインターネットをそうやすやすと止めてしまうのか、TTNETは・・・Superonlineを辞めてサーバーをTTNETに変更したことを、この時ほど身にしみて後悔したことはなかった。 24リラで出血大サービス、とでもいうような勧誘をして、加入させたくせに、出血するのは利用者の方かい!! 仕方なくなけなしの財布から手持ちの最後の100リラ札を出して、支払い窓口で払った領収書をあくび姐さんに見せると、彼女は「タマム。じゃあ、サービスマンをお宅に送るように要請しておくわ」と偉そうに言った。 もう、よっぽど「今日はあくびしないの?」と言ってやろうかと思ったが、まあ、腹にしまいこんで「ありがとう」と普通の顔でお礼を言って出てきたが、今日こそグランド・バザールからエミニョニュまでのきつい下り坂を下りて、バイラムの前に日本の友人マキコさんに頼まれた、刺繍用の「チャコ・ペーパー」を探しに行かなければ、と思った。 依頼する人は「加瀬さんなら知っているかもしれない」「知らなくても調べに行ってくれたり、知っている人を紹介してくれるだろう」と、私がまるで全知全能であるかのように信頼して頼んで来るのだから、放りだしたり忘れてしまってはいけない、どう忙しくても、自分のことは放っておいても頼んだ人への責任を果たさなくては・・・と言うのが私のポリシー、頼まれたのがラマザン・バイラムの最後の日だったので、もう4週間になろうとしている。 どこから行けば一番早くグランド・バザールに出られるかを考え、帰り道はメトロに乗って、イスタンブール大学の「理学部と文学部合同キャンパス」のそばにある、ヴェジネズレル駅に出て、グランド・バザールまで歩く(かなり距離あり)か、少し離れたトラムワイのラーレリ/ イスタンブール大学駅からふた駅乗って、グランド・バザールのヌルオスマニエ門から入れば、マフムット・パシャ門から下に下りる通りに一番手っ取り早く出られるのだった。 キャンパスの前でもう一つ用事を思い出し、日陰に座って電話を取り出した。友人のテレビタレント小林正貴さんが、昨日の午後電話して来て言った。 「加瀬さん、ぼくもいよいよあと1ヵ月後には日本に旅立ちます。ロンドンの由加さんとも会う約束をしたのですが、23日の日曜日夕方、加瀬さんともご一緒出来ませんか。お別れにウイグル料理をご馳走したいと、かねがね言っていたのに、今頃すみません、よかったらご都合付けて頂けませんか」 もとより異存はなく、由加さんと私も携帯電話を受け取る都合があり、23日の夕方、どこかで会いましょう、と言っていたのでちょうどよかった。二つ返事で承知したのである。 イスタンブール大学のこのキャンパスのどこかにアイシェさんの教鞭をとる法学部もあり、23日の小林さんとのウイグル料理の会に、アイシェさんもお誘いしてはどうかと思い立ち、すぐに日陰に入って電話をかけた。 するとアイシェさんはちょうど用事も終わり、初めて明るいうちに家に帰れる状態になったらしく、私の持ちかけた話を楽しげに聞いてくれた。待ち合わせの場所はあとでまた連絡する、と言って電話を切った。 それから急ぎ足でグランド・バザールまではとうとう歩いて行ってしまった。そのあとは、グランド・バザールを斜めに突っ切るような形で、北側のマフムット・パシャ門から外に出た。夏はアラブ諸国からの観光客でにぎわうイスタンブールだが、このところ大きなテロ事件もないせいか、街の人々も繰り出してマフムット・パシャ通りもかなり混雑していた。 ようやく刺繍や編み物の資材を売る店が並ぶアラジャ・ハマム通りに入り、この道の最後に大きな問屋さんがあるので、手前にある店から聞きに入ったが、マキコさんの送ってきたリンクから刷り出した紙を見せながら聞いても、店員にもピンとこないようで、要するに見たこともないのだろう、と諦めた。 次の店では店員が「ちょっと待ってて下さい」と言ったまま、前の客があとあと、思いついては買い物を追加するのですっかり待たされ、朝早く日本からの娘の電話で目が覚めたこともあり、またTTNETのことでシシリーまで、そしてそのあとこちらへ回ってきたので疲れがどっと出てしまい、調査の続きはまた明日にして家に戻ってきたのだった。 調べ物でも、トルコにあるかないかを調べてほしい、と言うのが一番難しい質問である。どこそこと言う店にはあるらしいのだが、その店がどこにあるかを調べて下さい、などと言うのは調べるうちには何とかなる。 でも、あるかないかを聞くには電話で済ませられず、足で訪ね歩くしかない。電話は手軽だが、トルコでは電話だけの商談など絶対にあり得ない、信用出来ないことが多いからだ。 自分が今苦労に直面しているTTNETが、その一番顕著な例ではないか。まあ、ほかならぬマキコさんの頼みだし、シリアの難民女性の自立に一助となればと思えばこそ、この猛暑の中をきつい坂道を上ったり下りたりしているけど、私も自分のことや家の掃除が出来なくては、毎日気が気でないので、今度こそこうした骨身を削るような調査は、もう若さや馬力もないのだから引き受けないようにしよう。(と、十年一日に言い続けている私もすごいです) あと一軒、最後の頼みとしている、手芸専門の問屋さんを訪ねてそこで見つからなければ、まだトルコにはないのだろうと、結論を出すことにしよう。 チュクルジュマの青い空。上の階のベランダでも伸びてきた蔦の葉が風にそよいでいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2017年07月30日 19時46分39秒
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