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夢みるきのこ

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2011年11月02日
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 オガサワラ ミチさんは本年度もっとも刺激的だった『キノコレ』アート展の仕掛け人だが、今回も最多の作品数を展示して私たちの目をたのしませてくれた。
とりわけ『きのこ枠』はきのこの本質をとらえており、共感できた。
ただ、きのこは<フレームそのもの>との自覚があれば、展示方法もフレームに描かれたきのこの図柄ももっと異なるものとなっていたであろうことは容易に想像できる。
 
 僕はかってきのこに実体を与えようと躍起になる人たちに「きのこは鍵穴に過ぎないよ」と言ってきたが、オガサワラ作品に即して言えばきのこはフレームそのものなのだ。もう半歩、あるいはもう一歩踏みとどまってきのこと格闘してほしかった。

 きのこは菌類の実像ではなく虚像であることの徹底した認識をもつためには、実際の生きものとしてのきのこと接してその虚実の反転のありさまを自身でたしかめなければ、一歩も先へは進めないものなのだ。天台で言うところの摩訶止観といったものは、自身で体験するほかない。そのイニシエーションあってこそきのこアーティストの門が開かれてくるものなのである。私の語ることもそれなくしては理解不能だろう。
それはあなたたちの言葉で言えば、きのこのコベル二クス的転回というようなものだ。
 きのこ屋さんはきのこは喰い物であるとか、分類の手がかりだとかしか思わず、きのこに自身の主観を詰め込み目の粗いものさしで無理やり測ろうとするからきのこそのものに欺かれる。だけど、いやしくもきのこアートを志すものは、そもそもフィクションの真実に生きようと決意する者のはずであるから、そこのところはよくおわかりのはずだ。
 しかし、寡作がちなきのこ趣味人の多い中で多作を持続している作家として、ぜひ次なる展開を期待している。ここでも継続は力なりという言葉は生きてくる。





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最終更新日  2011年11月03日 12時06分36秒
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