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カテゴリ:きのこ目の日本史
奈良坂をまたぎ聖武・光明陵をかすめる佐保姫伝説の佐保川のほとりにて 良弁の東大寺から果てしなく僕の旅は広がり、身体と心の問題としての仏教世界、神道世界をとりとめもなくさすらい続けてきた。が、そろそろ絞り込んでいくときが来たようだ。 天平時代は律令国家が完成に近づいたわが国最初のバブル期に当たり、藤原不比等の思い描いた今日まで続く官僚支配の千年国家のはじまりでもあったが、聖武天皇・光明皇后はその藤蔓に囲繞された一枚岩的な支配機構にかすかに生じた隙間の数年間に全生命を傾けて独自の国家意識と都市構想をもって不比等とは似て非なる国家の可能性を追求し、かろうじてそれを成し遂げ、果てたような気がしている。その天皇を支えた黒子こそが良弁であったのだ。彼は、その85年の生涯の後半に公式の歴史書に少し顔をのぞかせはじめるが、常におならのような存在のままに終始した。だが、彼もまたこの藤原や高僧不在の数年間に、聖武の思いを十分に理解し、彼の描いた夢をことごとく実現して退場する。 東大寺のある東山は今でこそ近鉄奈良駅の観光のメッカであるが、平城京の東のはずれ、京都の鴨川の東同様、死者の世界であった。そこを頻繁に往来し、法相の唯識瑜伽すなわち「空」思想の実践的かつ積極的な考え方を徹底して身につけた後、「力の行基、知の良弁」と呼ばれたように、二人してスクラムを組んで聖武帝のアジアに冠たる夢の国家建設に協力した彼らとおびただしい無名の貴(き)の子たちのことを、彼らの故地をさすらいながらその土地土地の印象そのままに伝えたいと考えている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年03月08日 17時41分11秒
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