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カテゴリ:マダラーノフの独り言
阪神淡路を襲った大震災は、頑張ろうの声援に突き動かされた結果、20年近くを経てようやくその後遺症が次々と露わになってきた。頑張りきれないものをずっと我慢してやってきた根源的な疲労が都市生活者全体を覆いはじめている。「井の中のやせ蛙さながら頑張っては駄目だ。頑張っては元も子もなくなる。」それが僕らの得た唯一の教訓だった。 それでも、阪神淡路大震災は震災の被害だけだった。東北の場合は、それに津波、原発事故が重なった。とりわけ原発の被害は今ひた隠しにしている事実が隠しおおせなくなる日が必ず来る。それは、僕たちが歯を食いしばって耐えてきた20年どころの歳月ではない。 こうしたわが国の現実に目をそらして、なおも "Japan as No.1"の夢をもう一度と、その経済的地位の回復を金科玉条として経済界は進んでいる。最悪のシナリオをわが国の国民は選びつつある。 こうした動きに対し、それを搦め手から抑止する力となるのが宗教だが、それは余りに非力だ。それなら、と既存の宗教にかわるもっと広汎な抑止力をもった文化に期待してきたが、しかし、それもなかなか得られそうにない。 きのこをつくる大型菌類とはじめて出会った時、生物としての生命哲学にもとづく文化こそが地球を救うと考えてきた。廃原発には、この生物(地球生命体)の本能による抑止こそが宗教を補ってあまりあるものだと考えてきた。そして、きのこをつくる菌類を愛する人たちによる環境教育がやがて地球生命体の一員としての新しい戦士達を育てると夢想してきた。しかし、きのこにこだわりきのこしかみえない人たちにはそれもむずかしい。無邪気にきのこを愛するのみの人たちとの協同事業こそが僕の残されたあえかな明日であるようだ。今春からはそうしたステージの転換をするべく動きはじめている。 しかし、80年代から90年代に起こった熱帯雨林の問題、諫早湾の干拓、長柄川の洗い堰、そして原発。これらに対抗する環境科学の方法は、すべて定量分析にもとづく経済効率の正否という手法によったため、アマゾンや東南アジアでは資源生物学の問題として、原発でもコスト計算による採否の優劣の問題として展開するほかなく、欲望を操るメンタリティ操作にたけた大向こうの土俵で相撲をとることになり、最初から勝敗は決まっていた。熱帯雨林は、植林もやってますとすでに伐採し放題、原発は原発推進しますか、それとも人間やめますかと建設し放題。わが国の再生与党にいたっては、またまた建設再開などと公言している。 そして、メディアが取り上げないかぎり、あらゆる問題は存在せず、時折りかすめることはあっても、夫々の頭の中で文脈を形成する以前にかき消されてしまう。 経済効率なんて次元の問題こそがもっとも、後回しにされるべきことなのだが、政経法すべての分野でアメリカ流儀が浸透してしまい、もはやこの狭い地球で300年も鎖国をした実績をもつ特異でユニークな列島弧の連合国としての面影はみじんもない。 ぼくは非力ではあっても、弱者差別に対して憐憫さを抱き、差別を強いるものにたいしてほとんど反射的におだやかな抵抗を示す人たちこそがきのこを愛する人たちだと信じて彼らの個性的な表現に人類の明日を見出そうとしてきた。 東北大震災の悲惨は地震でも津波でもなく、原発事故であったことがこれから徐々に明らかになっていく。そしてあきらかになればなるほど、その取り返しのつかなさに世界中が唖然とするだろう。そんな中で、もう一度ぼくのきのこ人生を洗い出し、「きのこの役割」を根本から捉えかえしたいと考えている。そんな折り、神戸で全霊を傾けて東北と神戸の被災地ネットワークに取り組む島田誠さんから案内が届いた。 ギャラリー島田が中心となって、加川広重の巨大絵画「雪に包まれる被災地」を神戸の旧生糸会館(現デザイン・クリエーティヴセンター神戸KIITO)1FのKIITO ホールで今月20日(祝・水)から31日(日)まで展示、その前でさまざまなアートイベントを展開し東北をしっかりと神戸に引き寄せてくれる。 JR、阪急三宮駅南へ海に向かって徒歩10分、神戸税関の真ん前なので、是非かけつけてほしい。
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最終更新日
2013年03月13日 07時43分46秒
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