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カテゴリ:ヘテロソフィア・アート
臨時休暇を賜り、今回はどう逆立ちしても行けそうにないなと思っていた京都市立美術館と別館で開催中の菊池享の南画院展と澤山輝彦の東方展に去る4月13日の土曜日早朝より行ってきた。淡路震源の地震で交通機関がマヒ状態であったが、3時間半かけて痴漢もお手上げのすし詰め状態の電車で京都へ。数日前に余裕で鑑賞されたSさんからは「今回の作品は両名とも渾身の作なのでこれを見逃せば後顧に憂いを残しますよ」とメールで脅かされていたものだったのでなおのこと溜飲を下げる思いすらあった。
なるほど、享さんの作品には来し方のさまざまな自身の投影が散見でき、画風も院展に新風を注がんとする意欲溢れるものであった。この南画院展はこれまで享さんの勧めで足しげく通ってきたが、何か会場全体にそれぞれの作家たちのペダンティックで鬱屈した妄執のようなものが過剰に充満していて、ほとほと疲れるので、余り根を詰めずに流すように観てきたが、そんな中で、享さんの作品にはホッとするものを感じた。 続く東方展では日本画とはいうものの、アクリル絵具と顔料の絵画が混在する作品が居並ぶ中で、岩絵の具、胡粉を用いた作品でポストカードでは実作品の良さが伝えられないのが残念だが、近年とみに明るくなってきた画調の澤山さんの作品はここでも光っていた。今年度で主催者の高齢化が理由で東方展の京都開催は無くなる可能性があると聞かされてきたが、そんなこととは無関係にそれぞれの作家が、常と変らぬわが道を行く作風を貫かれていたのが何よりもうれしく感じられた。 この両美術館の連絡通路にあたる岡崎公園ではおりしも京の手づくり市・平安楽市が開かれていて、きのこグッズ花盛りの様相にきのこ新時代の到来をあらためて確認するとともに、その中でもきのこをつくって独自な骨のある作家数名のブースで名刺交換をしてきた。とりわけArt Shop PIPPIの沖縄在住の鈴木剛くん(スーザン、鈴ヤンの意か)には注目すべきものを感じた。
それから、Mくんを伴い京阪で東福寺へと下り、共通の友人であった故安藤純くんの墓所へ案内した。Mくんは僕以上に彼の恩恵に浴しつきあいも深く、当時神戸にあった彼の焼鳥屋「鳥羽」で人生全般について深夜まで語り合ったと聞く。墓前で小一時間、駅前のコンビニで伏見の酒を買い、墓前で分かち呑みしながら震災前まで続いた僕たちそれぞれの往時の思い出を語り合った。そうこうするうちに、伏見桃山に焼鳥と地酒のうまい「鳥せい」のことを思い出し誘うとふたつ返事が返ってきたので安藤もともない森崎くんと3名でかけ込むことにした。かくして京都の夜は・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年04月20日 16時55分20秒
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