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カテゴリ:きのこ地蔵
海住山寺の十一面観音(写真上)と月輪寺の十一面観音と十一面千手観音(写真下)
釈迦の入滅後、弥勒下生までの56億7千万年の間の無仏の時代を代理する仏として、地蔵が登場するが、地蔵は浄土思想が広まってくる平安以降の主仏で、古い新羅の仏教移入からはじまったわが国の仏教では十一面観音が地蔵に先行して広められたように思われる。 きのこ地蔵との関わりでここ数年前まで僕の目は地蔵にそそがれてきたが、奈良仏教の動向に注目するにつれて十一面観音が目につくようになり、近年はもっぱらこの観音像が地蔵に劣らず星の数ほど存在することが分かって来て驚いているところだ。 十一面観音、十一面千手観音の来た道は、古い新羅の仏教がみなもとにあり、わが国での流行の仕掛け人としては愛宕山や白山開祖の泰澄が最有力候補者として挙げられる。飛鳥・奈良時代の原始修験としての山林修行者の間でそれは爆発的に広まり、こちらのほうは良弁・実忠が積極的に広めた可能性が高い。 南都六宗の体系は六宗のうちでも最終的にもたらされた華厳宗にきわまり東大寺ビルシャナ仏造立により一応の完成を見たが、その密教的展開が空海のもたらした密教の大日如来だ。実忠は良弁なきあとの東大寺で南都仏教の中興の士として空海に注目し、東大寺別当のポストに招じ入れたのも真言密教がそうした仏教思想のNEW WAVEを代表するものであったことによるのだろう。 この観音・地蔵の造像の多さは、そうした華厳世界・浄土世界の理想化へと構築される仏教とは逆に、現世での利益をもたらす切実な仏として受け止められ、辛酸をなめる当時の民衆にもっとも近いところで布教してきた私度僧たちによってひろめられたように思われる。
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最終更新日
2013年05月15日 19時06分56秒
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